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第3回「パフォーマンス」と「社会」を考える(ゆるい)勉強会

Class of Studies for Performance and Society
第3回「パフォーマンス」と「社会」を考える(ゆるい)勉強会
日時:2024年9月20日(金) 19:00 – 21:00

場所:リサイクルブティック・スノードール Google Map
(静岡鉄道県立美術館前駅徒歩2分)
料金:1,000円(コピー代、ドリンク付) *学生500円
世話人:柚木康裕(ココモンズ)・望月久暉
※予約推奨(当日飛び込みもOK)

申込みはこちらから。(Googleフォーム)

芸術/Artsを基点に社会学人文学を横断しながらテーマを掘り下げていく(ゆるい)勉強会の案内です。ゼミような対話重視の雰囲気で月一度のペースで1年くらいかけて、じっくり学び合う機会を設けます。ある程度学びが進んだところで識者をお招きして公開トークイベントを計画したり、最終的にはZINEなどを発行して成果発表を行いたいと考えています。

途中からの参加も可能ですので、ぜひ気軽にお声かけください。専門的な理論や概念を学ぶだけに止まらず、何らか実践につながる内容を心がけています。私のふるまい、私たちのふるまい、社会のふるまいに興味や疑問がある方でしたら、きっと実りある時間となると思います。

※ これから参加される方にはこれまでの資料をお送りいたします。

中心となる使用テクスト
『パフォーマンス研究』リチャード・シュクナー(人文書院)
『パフォーマンスの美学』エリカ・フィッシャー=リヒテ(論創社)
『日常生活における自己呈示』アーヴィング・ゴフマン(ちくま学芸文庫)
※ 使用テキストはお持ちでなくても大丈夫です。
※ 回ごとにほかの文献、論文も取り扱います。

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第2回のふりかえり
(敬称は省略させていただきました)

第2回パフォーマンス勉強会はアーヴィング・ゴフマン「状況の定義」論の理解に努めた。この勉強会のテキストのひとつにゴフマンの『日常生活における自己呈示』があり、前回の勉強会では再帰性(reflexivity)について話し合った。その延長で社会学者アンソニー・ギデンズやウルリッヒ・ベックの唱えた「再帰的近代」と自己呈示の関係などを話題とするつもりだったが、参加者のひとりが、こういう論文もあると提案してくれた『「いじめ」と「いじり」をめぐるドラマツルギー ―「状況の定義」と自己呈示の関連性に着目して―』(木村雅史 2017)が大変興味深かったために、それを精読する時間となった。

ここで「状況の定義」という概念が浮上した。「状況の定義」とはトマスの公理(「人が状況を現実であると定義するなら,その結果,状況は現実となる」)として知られているが、ゴフマンは自らの概念として展開しているようで、木村はその差異を本論で簡潔に述べていた。

木村によるとゴフマンの「状況」とは「集まりを構成する人々が身体の共在や相互的な眼差しの交換を通して自らの行為や振る舞いを調整し合っているとき,そうした相互行為を可能にしている空間的環境を指している」と述べる。そして、「状況の参加者は,各自が複数の関心や動機,パースペクティブをもっているにもかかわらず,目の前で進行している事柄について「明白な同一の理解」に迅速に達してしまうという事態があるということ」という大変に興味深いことを伝えている。「明白な同一の理解」が行われていること。これが状況が定義された状態ということだ。つまり参加者が自己呈示をするということは、この状況の定義に取り組んでいるということになる。そして、この自己呈示は参加者たちの相互作用として働くので、状況の定義は必ずしも安定したものにはならない。ゴフマンは「転調」や「偽装」などの言葉でその状況を説明する。また自己呈示が特定の「状況の定義」の「投企(project)」として機能している点が重要だと説く。また、自己呈示は非対称的なコミュニケーション過程のなかにあるということで、これなども大変に興味深い。まだまだ理解が及んでいないのだが、さらに読み込んで理解を深めていきたい。

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次回は、ゴフマン「状況の定義」をもう少し取り上げるのと、参加者の試論を読み、それについてディスカッションする予定です。試論は吉本隆明『言語にとって美とはなにか』への言及となります。次回の参加者にはテキストをお送りします。

社会学と人文学が入り混じりながら勉強会は進んでいますが、これは「パフォーマンス」というものが、そもそもそのようなものだからでしょう。自己呈示が印象を操作する行為/パフォーマンスだということは、そこには向かう先があるということです。ゆえにそれは相互作用とならざるをえないので、再帰的に自己呈示する身体に影響を与えてしまうことも当然考えられるでしょう。それらを考えようとすると社会学と人文学を必然的に取り上げることになるんだなという実感が伴うようになりました。

この勉強会に参加を希望される方にはこれまでの内容のメモや資料をお送りします。どうぞ気軽にお声かけください。上記のような振り返りを書くと、もしかしたら難しいことをしていると感じられる場合もあるかもしれませんが、実際は参加者同士でああでもないこうでもないと楽しくお話ししながら進めています。みなさまのご参加をお待ちしております。

申込みはこちらから。(Googleフォーム)