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劇評 / 『かちかち山の台所』ふじのくに⇄せかい演劇祭2024

ふじのくに⇄せかい演劇祭2024 参加作品
間食付きツアーパフォーマンス
『かちかち山の台所』
観劇日 2024年4月29日

小田透

食べること食べられること、または人間と動物の(非)対等性-対称性

「かちかち山」は、人間に土地を奪われたたぬきが投げかけた呪詛の言葉にたいして暴力をもって応酬した人間が逆に仕返しされ、仕返しされた人間に代わってうさぎがたぬきを残酷にやりこめていく説話と要約して差し支えないところではあるが、「間食付きツアーパフォーマンス」と題された石神夏希による「かちかち山の台所」がフォーカスするのは、この説話の前提である。土地の所有をめぐる問題、食べること食べられることの対称性の問題。

日本平の中腹を切り開いて作った舞台芸術公園は、もともとは、農家の所有するミカン畑や茶畑が広がっていた土地だったという。幕末以降の茶の輸出拡大とともに開発された地域なのだそうだ。しかし、百年どころか、一気に千年以上さかのぼれば、8世紀初頭、行基が訪れていた地でもある。地蔵菩薩を彫刻して安置したばかりか、のちの聖武天皇の病気平癒祈願のために再訪しており、そのとき高さ50m直径24mの楠の木から作られた七体の観音菩薩像のひとつは、今もこの地の平澤寺にある。しかし、数千年前、数万年前、ここは、動物たちの土地であった。おそらくここにはたぬきが暮らしていたことだろう。動物が人間の土地の先住者であった。だとすれば、人間はいかなる理由によって動物の土地を奪うことを許されたのだろうか。

「ツアーパフォーマンス」と呼ばれる本公演の観客は、10数名ずつに分けられ、舞台芸術公園の周辺を2時間近く緩くトレッキングすることになる。「かちかち山」の登場人物(ただし、説話の視点人物であるおじいさんは除く)を演じる俳優たちがあちこちで待ち構えており、最初の一人が、「ここにいる人々はみんな、たぬきが化けているのであり、夜になるとたぬきに戻る」という設定を、この現実世界に上書きする。だから、その後、イヤホンガイドをとおして、民話では語られることのなかった(石神が創作した)たぬきやうさぎやおばあさんの心の内を耳にすると、現実の土地のうえに民話の物語世界が重ね合わされていき、両者がますます渾然一体となっていく。動物が物言う対等な存在に思えてくる。

そこで浮上してくるのは、説話のあっけらかんとした残酷さ——たぬきを食べようとするおじいさん、助けようとしてくれたおばあさんに生贄役を肩代わりさせておじいさんに食べさせようとするたぬき——ではない。「食べられようとしているたぬきを可哀想だと思うおばあさんは、たぬきは人間に食べられる存在だが、人間である自分は食べられる側になることはないという立ち位置に安住しており、傲慢ではないか」というようなことをたぬきが呟くとき、カニバリズムの人間中心主義を超える視点が立ち現れてくる。人間が人間を食べることを絶対的な禁忌とすることは、人間が動物を食べることを問題視しないことである。しかし、なぜ、人間が、同じ生物である動物を食べることは禁忌ではないのだろうか。

食べる食べられるを関係の基礎に据えること、それは、動物であれ人間であれ、対等だからこそ食べられ食べる関係が成り立つこと、対等な相手を食べることの本源的な残酷さを俎上に載せつつ、食べることの倫理性を問いかけることである。それは答えのない重たい問いだが、物語のアフター/アナザーストーリーというありがちな道具立てで、耳に直にささやきかけるイヤホンガイドをとおしているからこそ、かつて(今も)そのような思いを抱いていたかもしれない動物たちがいた(いる)のかもしれないと信じさせてくれる。自然を切り開いて作った寺の周囲や畑の中にいるからこそ、これらの言葉がわざとらしくない本心からのものであるかのように伝わってくる。

しかし、たぬきが言うように、尊厳を持って相手を食べることが正しいとしても、食べる食べられるという双方向的な対等性からこぼれ落ちるおばあさんのような存在——おじいさんのような存在に仕事を押し付けられ、搾取されるばかりの存在——が、食べられるのを待つばかりのたぬきにみずからを重ね、共感し、憐憫を覚えるのは、間違っているのだろうか。

ツアーの道中で、相反する様々な意見が提示されていく。ゆっくりと歩いていくからこそ、そのひとつひとつを反芻し、丁寧に思いをめぐらせていくことができる。それはとても贅沢な時間である。

石神は問いを提示し、それにたいするいくつかの回答を提供し、それらを考えるための場所と空間を用意してはくれるが、唯一的な解答を提供しようとはしない。すべての問いは宙吊りのまま残る。そのような未決状態のなか、地場産の素材で真面目に調理された豆ご飯のおにぎりを頬張り、鶏汁を啜り、春の緑に覆われた日本平をのどかに眺めていると、そのあまりの幸福感に、それらの問いの姿がだんだんぼやけていき、存在が薄くなっていく。

それでよいのだろうかと思う。しかし、それでよいのかもしれないとも思う。観客はきっと、これから、このパフォーマンスで提起されたことを、日常のなかで、ふと、思い出すことだろう。そのような弱く長い影響にこそ、このような演劇体験の強さがある。

[ 筆者プロフィール ]
小田透(おだとおる)
静岡県立大学特任講師。比較文学、批判理論専攻。SPAC劇評コンクール受賞多数。
翻訳『相互扶助論: 進化の一要因 』ピーター・クロポトキン

■ 小田透氏による「ふじのくに⇄せかい演劇祭2024」全6作品の劇評を順次公開しています。
『楢山節考』 / 『友達』 / 『かちかち山の台所』 / 『かもめ』 / 『マミ・ワタと大きな瓢箪』 / 『白狐伝』
[ 公演データ ]
ふじのくに⇄せかい演劇祭2024 参加作品
回遊型演劇
間食付きツアーパフォーマンス 『かちかち山の台所』
公演日時:4月27日(土)12:30、4月28日(日)12:30、4月29日(月・祝)12:30
会場:舞台芸術公園と平沢地域
上演時間:120分
演出:石神夏希
原作:安部公房
制作:SPAC-静岡県舞台芸術センター
主催:SPAC-静岡県舞台芸術センター


[ LINK ]
ふじのくに⇄せかい演劇祭 WORLD THEATRE FESTIVAL SHIZUOKA
SPAC-静岡県舞台芸術センター

写真提供:SPAC-静岡県舞台芸術センター

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