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レビュー・劇評

劇評 / 『白狐伝』ふじのくに⇄せかい演劇祭2024

ふじのくに⇄せかい演劇祭2024 参加作品
ふじのくに野外芸術フェスタ2024
『白狐伝』
観劇日 2024年5月5日

小田透

日本的なものを超えたアジア的なもの、または自然の永遠の贈与

岡倉天心が英語で書いた、上演されることのなかった遺稿のオペラ台本『白狐伝』は、何とも不思議なテクストだ。20世紀初頭の英語にしては、19世紀的な過剰に修辞的なスタイルであり、英語を母語としない話者が当時はおそらく必然的に抱えざるをえなかったのであろう遅れを如実に感じさせる。しかし、生前には発表されることなく1 世紀以上が経った今、日本の古典的な題材——動物の恩返し——を、19世紀の確信に充ちた英語文体で表現してみせた岡倉のテクストは、予想外にうまく熟成し、後世だからこそありうる普遍性を獲得したようでもある。そのような反時代的=超時代的な契機をこそ、宮城聰とSPACは、アジア的でありながら日本的なものには回収できないような上演によって増幅させる。

岡倉のテクストでは、日本土着的な感性と、渡来的なものである仏教の倫理とが混ざり合っている。もしかすると、岡倉は、仏教的なものの勝利を描きたかったのかもしれない。エピグラフには「善行をとおして/高次の転生を求める/仏の慈悲にすがって[THROUGH GOODLY DEEDS/ SEEK HIGHER INCARNATION/ IN BUDDHA’S MERCY TRUSTING]」とある。しかし、宮城たちがこの三幕劇において前景化するのは、一幕における人間による狐の救出でもなければ、二幕の狐による報恩的なふるまいでもなく、三幕終わりで再会を果たす人間の夫婦の幸福でもない。自己犠牲によってそのようなハッピーエンドをもたらす白狐の身を切るような訴えかけだ。

「下賤な獣を嘲る人々は/わたしのことをこんなふうに言うのでしょう/あいつは狐にすぎず、心をめぐらせることはなかった、と。/人間は愛について何を知っているのでしょう/変わらぬ心、捧げる心、本当の自己犠牲について何を。/数十倍、数万倍もわたしたちは感じているというのに/身を刺すような情熱を、狂おしい妬みを/五臓六腑に喰いつき、この身を引き裂くものを。[Men who ever mock at lowly beasts,/ Perchance of me shall say/ She was but a fox and could not care./ What do they know of love,/ Of constancy, devotion, real surrender?/ More by ten thousands times we feel/ The pang of passion, greed of jealousy,/ That bites and tears our very entrails.]」

『白狐伝』の真の主役は、魔法の宝石をくわえた白狐を救う保名でもなければ、保名を愛する葛の葉でもなく、葛の葉に懸想する悪右衛門でもない。白狐のコルハである。あるひとりの人間に救われた動物の、人間全般にたいする痛切な心情吐露であり、痛烈な異議申し立てである。SPACの『白狐伝』は、そこを頂点とするように構成されていた。

しかし、もしかすると、そのような演出になったのは、公演の直前に急逝した葉山陽代の代役として、SPACの芸術総監督にして演出家の宮城聰が、白狐のスピーカーを務めたからだったのかもしれない。古典的な韻文というわけでもない日本語訳を、伝統芸能的な謡いの唄い回しで音声化してみせたスピーカーの宮城の渾身の技には、単純な技術を越えた凄味があったし、そのような鬼気迫る音声にたいして、コルハと葛の葉の一人二役——超自然的な狐の存在と、現世的な人間のたたずまいの両方——を、言葉なき身体表現のみで応えてみせたムーバーの美加理の演技は、間違いなく、この劇の特異点であった。

ただ、長らく演技からは遠ざかっていたのであろう宮城にしても、または、制作期間がさほど長くはなく、作品自体を十二分に練り上げるだけの時間を持ちえなかったのであろう俳優たちにしても、連日にわたる公演によって蓄積した疲労のせいなのか、舞台上では練度や精度の面で、微妙なバラつきがあったことは否定できない。

カカシのような人形二体を棒でつないで踊るムーバーたちのなかでは、良くも悪くも、渡辺敬彦の操作が突出してニュアンスに富んでいた。悪者のムーバーである貴島豪は、京劇役者のような豪奢な衣装と化粧を施した顔の華やかさを活かすためだろうか、非常に抑制された動かない演技によって、感情の揺れ幅の大きなスピーカーの吉植荘一郎と見事に連動していた。女性のムーバーたちは、円舞としては、男性陣より安定してまとまっていたものの、裏を返せば、個を殺して和を重んじるという安全策に甘んじてしまっていた部分がないとは言えない。保名を演じるムーバーの大高浩一は、ベテランの確かな技量を感じさせたが、だからこそ、技が目立ちすぎたきらいもある。女声のスピーカーにしても、保名のスピーカーの若菜大輔にしても、高度な技術に裏打ちされた確かなものではあったものの、PAのせいなのか、その響きには、奇妙なまでのよそよそしさが感じられたのだった。

駿府城公園の舞台は難しいのだろう。有度に比べると広すぎるのだ。有度なら、舞台後方に生い茂る木々から、自然の力を借りることもできる。しかし、人工的に公園として整備されたここは、中途半端に自然を残しており、中途半端に人為的である。このどっちつかずの環境は、『白狐伝』にとって、かならずしも幸福とはいえない状況であったようである。

しかし、純粋な自然とは言い難い人為的な自然である公園のなかでの公演だったからこそ、わたしたちは、自然のことに改めて思いをはせることを求められたのかもしれない。「見なさい、自然の永遠の自己犠牲を/与えに与えて、見返りを求めない[Behold Nature’s eternal sacrifice,/ Giving, giving, asking no return.]」。

非対称な、非互恵的な贈与こそ、わたしたちが演劇から受け取るべきものなのかもしれない。

そしてわたしたちは、この演劇的な自然の贈与を、誰に、何に、どこに、贈るのだろうか。

自分の幸福ではなく、他人の幸福のために自ら身を引く白狐コルハは、わたしたちに、そのような贈り物をめぐる問いを投げかけている。

■ 小田透氏による「ふじのくに⇄せかい演劇祭2024」全6作品の劇評を公開します。 7/23付
『楢山節考』 / 『友達』 / 『かちかち山の台所』 / 『かもめ』 / 『マミ・ワタと大きな瓢箪』 / 『白狐伝』

[ 公演データ ]
ふじのくに⇄せかい演劇祭2024 参加作品
ふじのくに野外芸術フェスタ2024
『白狐伝』
公演日時:5月3日(金・祝)19:00、4日(土・祝)19:00、5日(日・祝)19:00、6日(月・振休)19:00
会場:駿府城公園 紅葉山庭園前広場 特設会場
上演時間:100分
上演言語/字幕:上演言語=日本語/字幕(タブレット)=英語・中国語・韓国語・日本語
演出・台本:宮城 聰
作:岡倉天心(『THE WHITE FOX』)
音楽:棚川寛子
製作:SPAC-静岡県舞台芸術センター
主催:SPAC-静岡県舞台芸術センター


[ LINK ]
ふじのくに⇄せかい演劇祭 WORLD THEATRE FESTIVAL SHIZUOKA
SPAC-静岡県舞台芸術センター

写真提供:SPAC-静岡県舞台芸術センター

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