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小論 〈上演〉される近代盆栽――①盆栽はいつ「日本文化」になったのか

横山 詢
2026年10月2日

近代盆栽文化史研究への入口

今回、cocommonsの場をお借りして、全二回の記事を掲載していただくことになりました。二回を貫くタイトルは「〈上演〉される近代盆栽」としています。盆栽が〈上演〉されるとはこれいかに。と感じられるかもしれません。今回は、私たちが盆栽というものに対して抱いているイメージが、大いに〈上演〉あるいは〈演出〉された結果のものである、ということを扱おうと思います。

さて、盆栽というものの説明を試みようとすると、おそらく

  • 小さな鉢のなかに大木の姿をつくり出すわざ
  • 何十年、時には何百年という時間をかけて樹木を育てる趣味
  • 「わび・さび」や「自然との共生」といった、日本文化らしい美意識
  • 海外でも BONSAI の名前で知られる、伝統的な日本文化

といった言葉が思いつくでしょうか。どれも、現在の盆栽について語るときにはよく耳にする説明です。 こうした説明を並べてみると、盆栽はずいぶん「日本らしいもの」のように見えます。 しかし、その「日本らしさ」はいつから現れてきたのでしょうか。

 

ここで補助線として、「パフォーマティビティ」という考え方を取り入れてみます。フェミニズム・ジェンダー論の世界でよく知られるジュディス・バトラーが「セックスはつねにすでにジェンダーなのだ」という言葉で書いたように、言葉や観念といったものは、最初から明確な意味とともに用いられるものではありません。言語行為が繰り返されることでこそ、あたかも最初からそうであったかのように意味が形づくられていくと考えます。

このような姿勢で、盆栽の「日本らしさ」に向き合ってみるとどうなるか――「わび・さび」「自然を愛する日本人の文化」「古くから続く伝統」といった語りが繰り返され、展覧会が開かれ、鑑賞される――このような反復のなかで、盆栽は徐々に「日本文化らしいもの」としての地位を固めていったと言えるのではないか。そこにあった動的な変容、つまりパフォーマティブな動きを、ある種の〈上演〉としても捉えられないか。 このように視点を設定したうえで、盆栽が辿ってきた歴史を簡単に見てみます。

盆栽の歴史を遡る

盆栽の「日本らしさ」を考える際に手がかりとしたい要素のひとつに、歴史性があります。盆栽は、いったいどの時代からあるのでしょうか。 盆栽史に関わる研究では、早くとも幕末くらいまでしかその歴史は遡れないだろう、というのがかなりの共通理解となってきました。つまり、歴史としてはだいたい200年程度です。もしかしたら、思ったより短いと感じられる方がほとんどかもしれません。

時代劇などで殿様や将軍の横に立派な盆栽が据えられているシーンを見たことがあり、江戸時代には盆栽があったのではないかと思われる人もいるでしょう。しかし土を室内に持ち込むことを嫌う日本の民俗では、鉢植えが持ち込まれることは基本的にはありえなかった、というのが盆栽史研究の理解です。(おそらく映像表現として盆栽が用いられたことによるイメージの普及が原因でしょうか。このことについて表象文化論の観点から研究してみることも面白そうなのですが、今回の本筋からは外れるので置いておきます。) また、庭園の隅に鉢植えが置かれていたのはかなり確からしいのですが、それを今日の盆栽と同一のものと見るのには留保が必要です。

というのも、現代の「盆栽」と同じような文化がそのまま中世やそれ以前から続いてきたと考えるのは難しく、近代以前の「盆栽」という漢字二文字は「ぼんさい」ではなく「はちうえ」「うえき」などと読まれていた可能性が指摘されています。そして、「ぼんさい」という語が一般化し、樹形の見方や鑑賞方法、専門用語などを備えたひとつの文化領域として形を整えていくのは、早くとも幕末、主として明治時代中期以降のことです。それ以前の時代にも盆栽の源流のようなものを求めることも可能かもしれませんが、それをやってしまうと、結局は古今東西どこにでも見られる植物愛好・鉢植え愛好文化に行き着いてしまいます。

そのため、現在に続く文化としての盆栽がはじまった歴史を幕末・明治初期に置くのが、盆栽史研究での共通認識となってきました。それ以前の鉢植えをどうしても「盆栽」と呼びたいときは、幕末以降のものを「近代盆栽」と呼ぶことで区別することもあります。とはいえ、近代盆栽の萌芽期にはまだ、当時「文人」と呼ばれた、中国発祥の骨董や古典に造詣の深い人たちの間で盆栽が親しまれていたため、日本文化ではなく中国文化の文脈にあったとするのが妥当です。

「日本文化」として確立されていく盆栽

 

では、そのような、本来的には世界中に見られる鉢植え文化の一種にすぎない、さらにもともとは中国文化の文脈にあったといえる盆栽が「日本らしい」ものと見られるに至るには何があったのか。そこにあった出来事のうちのひとつが、「日本的美意識」と呼ばれるものとの接触だと思います。 「わび・さび」といった言葉が盆栽に対して用いられることは今日多いですが、こうした美意識に関する言葉も、歴史の中で意味を変えてきました。たとえば、能や侘び茶など、それぞれの分野で固有の意味をもっていたはずの「わび」「さび」といった言葉が、「日本文化」全体のエッセンスとしてまとめられていくのが、近代日本という時空間です。

そして盆栽史の研究では、明治中期から大正期の盆栽が、当時すでに「日本的美意識」が反映された文化として一定の承認を得ていた茶道やいけばなから、用語や作法を取り入れていったことが指摘されています。また、明治期以降に発行された盆栽関係雑誌を見てみると、大正・昭和初期あたりから、「日本人は昔から自然を愛してきた」とか、「小さいものに大きなものを見出す日本(人)の精神性」などといった、「日本らしさ」と盆栽の要素とを接続しようとする盆栽論が多くみられはじめるのです。つまり、近代盆栽がひとつの文化として確立していく過程で、「わび・さび」などの言葉に象徴される「日本らしさ」が取り入れられ、結果として盆栽は「日本文化」「日本らしいもの」とも見なされるようになった、と考えられるのです。

そして、盆栽が美術館という場所に定期的に展示されるようになるものこの時期です。それまでは仲間内の茶の席で親しまれるのが主だった盆栽が、公衆に対して「展示」されるようになるのです。この慣習を通して盆栽は、ひとつの「作品」としての一般的イメージを強くしていったものと考えてよいでしょう。

 

ここまでごく簡単に、盆栽が「日本文化」として見なされるに至るまでの様相を概説してきました。その様相は、歴史という舞台の上で「盆栽」が語られ、用いられることを通して、つまり、ある種の〈上演=演出〉を通して、現代にまで続く一般的なイメージが形成されてきたものと見ることができます。

次回は、今回見てきたような言葉や言説による〈上演=演出〉から少し視点を移し、剪定、針金掛け、植替えといった身体的な実践から、盆栽を「パフォーマンス」として考えてみたいと思います。(2026年10月中旬更新予定)

お知らせ:研究成果を、日本文化にふれるすべての人の手元へ

現在、盆栽史に関する研究成果を論文だけでなく、実際に盆栽を楽しむ人たちや、広く文化的・芸術的なものに関心のある人へ届ける試みにも取り組んでいます。

他の研究者と共同で進めている研究では、歴史資料から明らかになった盆栽の美意識や、茶道・いけばななど他の日本文化との関係をデータベースとして蓄積し、アプリ上で利用できる形にすることを目指しています。

現在、その研究と開発を進めるためのクラウドファンディングを実施しています。盆栽をすでに楽しんでいる方はもちろん、「盆栽って、そもそも何が面白いんだろう?」という方にも、一度、ページを覗いていただければ嬉しいです。

クラウドファンディング紹介ページ:
https://academist-cf.com/projects/428?lang=ja

[筆者プロフィール]

横山詢(よこやまじゅん)
静岡大学教育学部卒業。東京大学大学院教育学研究科修士課程を修了ののち、現在、東京大学大学院学際情報学府博士課程在籍。専門は社会教育学、盆栽思想史。河口雀零名義でSPAC劇評コンクールでの受賞経験あり。

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