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レビュー・劇評

レビュー / 創作処 愛染屋 旗揚げ10周年記念公演『心信辛信芯 -SHIN-』

柚木康裕(cocommons)
2023年9月10日

舞台はとある街のお洒落なバー。マスターはマジシャンとしても活動し、バーでも時々マジックを見せているらしい。独特のユーモアを持つマイペースな人柄だが面倒見の良さそうな雰囲気も醸している。このバーに仕事を辞めてしまったサラリーマンが来店することで物語は始まる。マスターの気遣いから勇気づけようと嘘のマジックを彼に掛ける素振りをすると、事もあろうか違う世界の人と入れ替わってしまい様々な騒動が湧き起こっていく。

ざっくりと始まりを紹介するとこんな感じだろうか。このサラリーマンに入れ替わってバーに召喚されるのは、RPGゲームに良くみられる異世界冒険譚のキャラクター女剣士だ。この女剣士は本来の居場所である世界に帰るためにこのバーで起こる難題を乗り越えて「経験値」をゲットしなければならなくなる。こうして彼女の「新たな冒険の始まり」が起こる。

難題というのはアドベンチャー作品に登場するような怪物や悪党を倒すのではなく、このバーにやってくる人たちの悩みを聞き、適切なアドバイスを送ること。女剣士はこちらの(現実)世界のことは何も知らずに対応に悪戦苦闘する。だが、もし私たちが女剣士の立場であったらそれらの悩みに明確に答えられるだろうかと自問してみよう。それぞれの悩みは仕事、結婚、大学と状況は変われど自分自身が揺らいでいることへの不甲斐なさを感じていることが共通しているだろう。同じ世界に生きる私たちでも彼ら彼女らに適切な声を掛けることは至難なはずだ。違う世界から来たとならば言わずもがなである。当然女剣士は勝手わからず、自慢の剣も役に立たない。初めての事ばかりであたふたするのだが、そこにアドバイスを送るのがシステムメッセージ(以下SM)という機械的に生成されたような声である。どこからか聞こえてくる彼女にしか聞こえない(当然私たち観客には聞こえている)この声に助けられながら、女剣士は現実に立ち向かい少しずつ成長していく。

このSMと女剣士との会話は、この舞台に演劇的な面白さとメリハリをもたらしていた。その一つの要因としては、SMの声を録音で済ませるのではなく、舞台袖からライブで台詞を発していたからだろう。臨場感と緊張感が物語をダイナミックにドライブさせていた。

女剣士という存在は、いきなりこの世界に放り出された新参者/未熟者といえるだろう。彼女本来の世界では達人にも関わらずだ。これまで生きてきた世界のルールが通用せず、未知の世界のルールに得意の剣も意味をなさない。呆然とする彼女へSMは、答えではなく知り得る情報だけを送る。知りたいことを何でも教えてくれるのではない。情報はつまるところ情報でしかなく、結局彼女は自ら思考して判断するしかないのだ。では、その判断を決定するものは何か。それは舞台が進行するにつれて明らかになっていったように思う。

この公演は一部ダブルキャストになっており、筆者が観劇したソワレではこのサラリーマンと女剣士を演じたのは小林大峰さんだった。男性が男女を演じるというのもこの舞台の面白さだったが、このサラリーマンは少し弱々しく、男らしさを感じることもない。女剣士はこの状況を打開しようと奮闘し立ち向かう姿は逞しさを感じられる。この男女の性差を逆転させたような難しい二役を小林さんは奇を衒うことなく心を込めて演じられているように見えた。

上演タイトルの『心信辛伸芯 -SHIN-』を振り返れば、彼の演技はこの「心」に繋がってくるのだと察した。この演目タイトルの読みは「シン」である。それを5つの言葉で表しているが、なぜこの5つだったのかとあらためて上演から考えてみたくなった。まずもって「シン」という単語は、昨今ブームとも呼ぶべき名付けであることを直ぐに想起する。「シン・エヴァンゲリオン」、「シン・ゴジラ」など、庵野秀明監督の一連のシリーズですっかり馴染みの単語ではないだろうか。ただ庵野的な文脈だと、「シン」は新、神、真という意味で捉えるべきものだろう。あるいは「SIN(罪)」が含まれてもいいはずである。

そうなると興味深いのは、愛染屋の「シン」にはこのどれもが含まれていないことだ。全くの個人的な印象だが、「シン」という言葉が社会で需要される背景には、世界をリセットしたいという願望が透けているように感じる。世界を一旦まっさらにして新たに立ち上げたい、できればガラガラポンしたい欲求。庵野的「シン」の広がりは、失われた30年と呼ばれる出口なき現代日本社会の閉塞感の広がりとも見立てられるのではないだろうか。(多くの人が指摘するようにエヴァのテレビ放送開始が1995年というのは象徴的)

愛染屋「シン」は、庵野的「シン」を表す漢字を採用しなかった。では、なぜこの5つ「心信辛伸芯」だったのだろうか。まず「心」だが、先ほども伝えたように演劇への想いを表しているのではないだろうか。これは趣味として演劇活動を行う社会人劇団としての矜持といえる。いやむしろアマチュアだからこそ演劇と真剣に「心」で向かい合うという気概であろうか。

「信」は仲間へ。「辛」は世間、社会へ。「伸」は未来や可能性へ。そして「芯」はぶれないもの、強さへというように、それぞれ表明しているのではないだろうか。もちろん解釈はこれに止まらないし、観客が自由に感じたことで正解だ。ただどのような意味だとしても、それらが現在(いま)達成できているわけではないだろう。それは、宮沢賢治が『雨ニモマケズ』でいみじくもいったように「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」という心境のはずである。

とはいえ大切なことは、閉塞感に囚われるのではなく、今ある日常を否定するのでもなく、受け入れて進もうという覚悟をこの5つの「シン」に託しているということではないだろうか。

舞台の終盤に女剣士は経験値を上げて無事に元の世界へ帰る。同時にサラリーマンもこちらの世界へ戻ってくる。私たちが暮らす現実の世界へと戻ってくる。現実の世界?それでは女剣士の世界は現実ではないのだろうか。そうではないはずだ。わたしたちが暮らしていないというだけで、その世界がないものとするのはあまりにも乱暴な思考ではないだろうか。世界は複数存在していい。私たちはその違う世界群とどのように関係を持つことができるのかと今問われている。

女剣士は不慣れな世界で、判断を下すために相手を見つめ会話を続けた(ゆえにこの場面の演出はもう少し掘り下げる必要があったと思われる)。つまり関係性を深めることによって、相手が見えてくることは多いということだ。それゆえに判断できる。当然だろう。しかし現代社会はそれが困難だということを示している。差別、分断、戦争。それでも、この舞台はそれに腐ることなく、関係性を築いていかなければと告げているのではないだろうか。

ただ、いつでも勇ましくそして冷静に対峙できるわけではない。時に得体の知れない「空気」の圧力に挫けそうになることもあるだろう。その時は無理せず「マジック / 演劇」に頼るのもきっといい。創作処愛染屋はそうして10年の歳月をサヴァイヴしてきたのではないだろうか。そして今、改めて「新たな冒険の始まり」と自らを鼓舞して、社会という茫洋たる海原に再び出航してゆく。Bon boyage!

[ 観劇データ ]
創作処 愛染屋 旗揚げ10周年記念公演『心信辛信芯 -SHIN-』
日時:2023年8月26日(土)19:00
場所:人宿町やどりぎ座

夜公演キャスト
【愛染屋】
小林大峰:東出英章/女剣士
愛楽ゆか:システムボイス
【ゲスト】
大石拓巳:山口圭
季羽笑叶:大谷春美(お花や)
中根拓也:豊田豊(マジシャン)
中川茉和(劇団ぱんけーき):田中茉里美(介護)
Roこ。:三木杏(大学生)

[ レビュワー ]
柚木康裕(ゆのきやすひろ)
cocommons代表
詳しくは編集部メンバー紹介ページ

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