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Review / 手のひらに太陽を − SPAC『Reborn』レビュー&雑感

柚木康裕
2022年9月15日

 SPAC『Reborn』は公募で選ばれた中高生9名と55歳以上の市民9名の合計18名からなるダンスかんぱにー「SPAC-ENFANTS-PLUS=スパカンファン-プラス」によるダンス演目。これまで中高生だけの「SPAC-ENFANTS=スパカンファン」として活動していたが、3作品目となる本作から55歳以上のメンバー(本文ではシニアメンバーと呼ぶ)も加わり老若混合の編成となった。

 「スパカンファン」が活動を始めて10年間変わらずにかんぱにーを率いているのはカメルーン出身でフランス在住のダンサー・振付家メルラン・ニヤカム氏である。本作を含む全作品の振付・演出を担当してきた。彼の躍動感あふれるダンスは一度見たら忘れられないインパクトを残す。身体から発せられるエネルギーは観る人のエネルギーをも高めるほど真っ直ぐに届くのだ。またいつでも絶やさない笑顔は彼の人となりを表しているだろう。表現者としても人間としても魅力が詰まった彼がかんぱにーの引力なのは間違いない。新しく生まれ変わった老若メンバーをどのように導くのか注目したい。

 メンバーにとっては待ちに待った本番であっただろう。このメンバーの原型は2019年に遡る。その後のコロナ禍で公演は伸びに伸びてようやく3年越しに公演が開催されることになった。メンバーの喜びもこの上ないものではなかっただろうか。ただ困難は続き、夏になると日本全国でコロナ感染症が急拡大したことでニヤカム氏の来日が遅れてしまった。お互いが直接会えたのは、本番数日前ということだ。SPACのブログを拝見すると、これまでオンラインレッスンを何度も繰り返し、振付アシスタント太田垣悠氏から指導を受け稽古を重ねてきた様子が分かる。きっとメンバーは自信を持って舞台に立つはずだが、ニヤカム氏と同じ空間に身を置き生身の肉体を通したクリエーションを経験したかっただろう。それでも彼が見守る中で舞台に臨めることはメンバーの自信を後押ししたはずだ。笑顔と躍動感がたっぷりのニヤカムイズムと呼べるようなダンスを舞台では十分に発揮していた。

 舞台は重々しい雰囲気で幕が上がる。檻に閉じ込まれているダンサーたち。皆、ぼろ布のような汚れた服を纏い、地面を這いながら蠢いている。次第に動きが活発になり囲まれていた檻をやぶり外側に飛び出す。パーカッシブなリズムの中、若者たちは躍動感のあるダンスを披露する。シニアも負けじと身体を揺らす。両者はデュオになったり、ソロを披露しながらさまざまなフォーメーションで踊る。時に対立し、時に協働しながら。後半ぼろ着からカラフルな衣装に変身し、さらにリズム良く陽気に踊る(靴が片方脱げてしまった若いダンサーがいたが、動ずることなく踊っていた姿が印象的だった)。舞台前半がこのコロナ禍の苦闘だとしたら、後半はそれでも希望は見出せるという決意だろうか。長い長い航海のような稽古期間を経て辿り着いた舞台はただの目的地(destination)ではなく運命(destiny)のように、メンバーたちは感じていたのではないだろうか。カーテンコールにニヤカム氏を呼び込むときのメンバーの顔には幸せが溢れていた。

 ここからは『Reborn』の演出として使われたペットボトルと傘に触発された雑感を記してみたい。

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 井上陽水の名曲「傘がない」は1972年にリリースされた。学生運動も下り坂となり、政治の季節が終焉を迎えるころである。「都会では自殺する若者が増えている」と始まる歌詞が世相を反映していると話題になった。この時期は高度成長期の区切りでもあり、社会は大きく様相を変えつつあった。

 「スパカンファン-プラス」シニアメンバーは「傘がない」発売当時は7歳以上ということになる。もし65歳のメンバーならば17歳。それ以上だとすれば当時大学生ということもありえる。もしかしたら学生運動に参加していたメンバーもいるかもしれない。この年(72年)は浅間山荘事件があり、テレビで目撃した記憶が残っている人も多いのではないだろうか。メンバーはそれぞれにこの時代の空気を吸いながら若者として多感な時期を過ごしてきただろう。

 舞台が中盤に差し掛かるころ、夥しい数のペットボトルが上空から降ってくる演出がある。ぼろ着を纏ったメンバーたちが強制収容所の檻のような部屋に閉じ込められた冒頭シーンからの流れを考えると、これらが大量消費や格差の問題といった現代社会への批評的な演出であることは明確だ。行き過ぎた資本主義やグローバリズムによって、捨て去られ忘れ去れる者たちがいる。つまり「ない」ことにされている者たち。しかし、そのような彼ら彼女らも生きていかなければならない。ペットボトルの雨を避ける傘が必要なのだ。

 傘はどこにあるのだろうか。舞台ではペットボトルの雨の後に多くの傘が降ってくる。舞台袖からも傘が投げ込まれる。カラフルな傘で満たされ溢れていく舞台で、演者たちに笑顔がさす。だが、これらの傘は私たちをこの雨から守ってくれるのだろうか。72年当時に傘は使い捨てではなかった。急な雨に降られても傘を求めて駆け込むコンビニもない。しかし、現代では数百円で傘は簡単に入手できる。百均でもドンキでもどこでも。つまりこれはレトリックだ。傘もまたペットボトルと並び大量消費社会の記号なのだ。それならば私たちはどうやって資本主義社会が生み出す欲望という雨から身を守るのか。私たちはいまだに傘がない。

 政治の季節に挫折を味わった若者(シニアメンバー世代)は、長髪を切り社会に向かった。ワーカホリックと陰口を叩けれながら、日本を経済大国に押し上げた。生活は圧倒的に便利になり、ないものはないという暮らしを手に入れた。はずだった。しかし21世紀も20年が過ぎた現代、便利で豊かな日常のはずなのに全国で自殺する若者は増えている。21年の小中高生(ヤングメンバー世代)の自殺者数は473人で、一昨年に次ぐ過去2番目の多さと伝えている(*1)

 終盤、シニアメンバーのひとりが「手のひらに太陽を」を唄う。日本人なら誰でも口ずさめるこの童謡は「傘がない」に遡ること10年前の62年にNHK『みんなのうた』で発表された。シニアメンバーは特に馴染みだろう。唄うだけで元気になり勇気をもらえるうた歌があるが、「手のひらに太陽を」はその典型だ。どんなに日々が辛くても苦労が多くても私たちは生きている。いつだってまっかな血潮(ちしお)が流れている。だから歌うんだ、笑うんだ、そして踊るんだと鼓舞する。

 私たちは本来それほど多くのものがなくても生を実感することができるはずだ。身体があるだけで、歌えるし、笑えるし、踊れる。でもそれを忘れてしまう。忙しさで、便利さで、ついつい。そうして、すべてが「ある」現代生活の中で、少しずつ大切な何かをなくしていく。行き過ぎれば何も「ない」と感じてしまうのだろう。自殺者が囚われてしまう絶望は想像を絶するが、それでも私たちは伝えなければいけない。生きながら何度でも生まれ直すことができると。「何度でも芽吹く草木のように」生まれ直すことができると、この舞台は伝えている。

 特別な理由はない。生きている、だから踊る。老いも若きも。一緒に。お互いがお互いの太陽になり、自分自身をかざすことによって見えてくるものは何だろうか。
 ダンスかんぱにー「SPAC-ENFANTS-PLUS=スパカンファン-プラス」の挑戦はけっして簡単なものでないのかもしれない。シニアは体力がない。若者は経験がない。だが、それだからこそ生まれる大切なものがある。それを育むために航海は続いていくだろう。

*1)https://www.nippon.com/ja/japan-data/h01283/

[ 観劇データ ]
SPAC-静岡県舞台芸術センター
『Reborn』
振付・演出:メルラン・ニヤカム
出演:ダンスかんぱにー「SPAC-ENFANTS-PLUS=スパカンファン・プラス」
振付アシスタント:太田垣悠
場所:静岡芸術劇場
観劇日:8月27日(土) 14:00

[ プロフィール ]
柚木康裕(ゆのきやすひろ)
cocommons 編集長
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