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レポート(前編) / 『籠城』上映会 & ディスカッション

SPAC-静岡見舞台芸術センター新作『伊豆の踊子』の応援企画としてドキュメンタリー映画『籠城』上映会とディスカッションを開催しました。上映後に行ったSPAC『伊豆の踊子』の演出を担当されている多田淳之介さんにも参加いただいたディスカッションを中心にレポートします。

第1部:ドキュメンタリー映画『籠城』
旧制第一高等学校(通称、一高)は、1935年に本郷から駒場へと校地を移転するが、そこでの生活は、本郷時代以来の「籠城主義」と呼ばれる自治寮での共同生活に支えられた、独特かつ閉鎖的なものだった。だが、1941年、1942年と戦時色が深まるにつれ、一高のアイデンティティともいえる「籠城主義」は、そのまま維持することはできなくなってくる。本作は、あたかも一高生らに同一化するかのように、アイデンティティの拠りどころを求めて研究に専念する大学院生の主人公「わたし」の意識を通じて、駒場時代の一高を描き出す。

第2部:ディスカッション
登壇者:小手川将(本映画監督)、多田淳之介(演出家)、宮城嶋遥加(SPAC俳優)*司会


■ アーカイブ資料と原案

宮城嶋遥加:それではアフタートークを始めたいと思います。司会はわたし、宮城嶋遥加が務めます。みなさんそれぞれ、いろいろな思いを感じながら観ていただいたと思います。まずは多田さんの方から、初めてご覧になった感想などをお話していただきながら ── 本日はSPAC『伊豆の踊子』出演俳優の方たちも何名かいらっしゃっていただいているのですが ── いま制作中の舞台とも絡めてお話を伺えたらと思っております。よろしくお願いいたします。

多田淳之介:よろしくお願いいたします。この映画がつくられた経緯というのを実は先ほど楽屋で小手川さんから聞いたのですが、博物館に残されている一高の資料に関するプロジェクトが東大で立ち上がったところから始まっているということでした。この映画の中でも「記録すること」など資料への言及があったので……すごいたくさんの資料が残っているんですよね。そうした彼ら一高生が記録して残したという作業とこの映画のプロジェクトが入れ子構造になっているということ。また、「正しさ」という言葉がたくさん出てきていて、東大生の考える「正しさ」とは、みたいな(笑)。

まあ実際、僕たちにとっても身近な問題でもあって、正しい言葉であるとかね。一高生としての正しさ、あるべき姿というのが、ある種のプレッシャーや生きにくさとつながりがあるのだろうと思いつつ、「伊豆の踊子」の主人公もまた一高生なんですね。というか川端康成がほぼモデルとなっていて、彼が伊豆への旅に出た理由というのが、一高生になって学校生活が苦しかったというもので、旅に出て、踊り子たちと会って、ちょっと気が晴れるというか、新しいものの見方に気づいて帰っていくという物語。川端の他の手記やエッセイの中でも、伊豆に行ってから学校生活がうまくいくようになったと書かれていて、川端康成や「伊豆の踊子」の主人公が抱えていた苦しさと直結するような映画だなと思いながら観ていました。この映画、資料などから作品を立ち上げていく作業というのはいったいどういう作業だったのだろうというのはすごい気になりましたね。

小手川将:ありがとうございます。みなさんも作品をご覧いただきありがとうございました。多田さんからお話いただいたんですが ── お客さんにいただいた質問カードにもいくつかあったコメントですが ──、この映画がどういうきっかけで、どういう経緯でつくられたのかということはわたしから簡単にご説明すべきだと思います。

まず、もともと映画をつくるというプロジェクトではなかったんです。東大のプロジェクトというのは、最初はアーカイヴ調査と展示を目的にしていました。ご覧いただいたように、旧制一高は1935年、駒場キャンパスに校地が移転したんですけども……いまは東大の教養学部があるところですね、同じキャンパスがいまも使われています。それで、この映画の制作元であるEAA(東京大学東アジア藝文書院)という組織の駒場オフィスが、当時、旧制一高時代に中国人留学生の学び舎として使われていた101号館という建物にあるんです。オフィスとして使われるようになってからそうした歴史について初めてわかってきたことがあって、2019年から当時の資料を調査しよう、というアーカイヴ調査のプロジェクトが立ち上がったんです。そういうプロジェクトは最終的に資料を展示するなどしてみなさんに知ってもらうという流れが一般的で、そのために膨大な資料を整理・分類する作業が行われるんですが、コロナウィルスでパンデミックになって、大学も含めて誰も入れなくなってしまうような状況になってしまった。そんなとき、映像であればさまざまなところにアウトリーチできるのではないかという発想がこのプロジェクト内の担当教員から生まれて、そうして映像制作プロジェクトというのが、アーカイヴ調査をメインとする大プロジェクトの一部として始まった。それが2020年11月ぐらいで、僕はそこから参加したんです。

映像プロジェクトですけど、とはいえ当初は映画をつくるという話ではなかった。おそらくショートドキュメンタリーみたいなもの、たとえばこんな資料があって、実は地下道があって、というような展示の代わりとなるような映像を制作するようなイメージだったのかもしれないし、もうちょっと別の方向があったのかもしれないですが、少なくとも映画をつくることが大目標としてあったわけではなくて、人が集まってからさてどうするかという話し合いがあり、映画をつくるということになり、そんな経緯なのでさまざまなトラブルもありつつ、なんとか作品ができた。なぜ映画なのかといえば、僕が映画をつくりたかったからというのがあるのですが……もう一つは、先ほど多田さんがおっしゃったように膨大な資料が残っていて、その資料はほぼすべて駒場博物館に所蔵されているんですけど、その博物館は一高時代から駒場キャンパスにあった建物で ── 当時は図書館のような、資料の閲覧室として使われていた場所で ── 当時の資料を確認するために博物館の奥に入って、小さな椅子に座って、一人で当時の一高生活の写真を見ていると、ああこれ、いま僕がいる場所じゃないかと。そういう発見が他にもたくさんあるわけです。また、そこで暮らしていた生徒の文書記録も寮日誌などのかたちで膨大に残っている。それらの資料を駒場キャンパスで見たという経験が、映画になるんじゃないかと思った最初のきっかけだったと記憶しています。

多田:エンドロールで「原案」とありましたが、あれは何なんですか?

小手川:それについてもお客さんからのご質問に書いていただいた方がいて、たしかにアーカイヴ資料とは別に「原案」とは何だろうという感じだと思うのですが、これは高原智史さんという方が書いたものです。その方も僕と同じく東大の博士課程で、一高について研究しています。彼といっしょに脚本も書いたのですが……僕自身は、この映像制作プロジェクトに参加するまでは一高に対して強い関心があったわけではなく知識もなかったので、研究者の立場から一高がどういうふうに見えているのかというのが制作の助けになると思って、高原さんにご自身の一高研究についてエッセイ風に書いてもらったんです。その文章というのが、なぜ自分が一高を研究しているのか、東大に入った自分がどんな学生生活を送ったのか、一高研究に至るまでどんな半生を歩んできたのか、どのような思いを一高に持っているのか、という個人の日記のような、平易なんだけど異様なトーンの文章で、それに着想を得て、原案として活かしたというわけです。

宮城嶋:高原さんというのはとても変わっていて、東大が大好きで、法学部に入学して一度卒業してまた東大に入り直して、と東大に十数年もいるという方なんですよね。

多田:東大マニアみたいな感じですね(笑)

宮城嶋:そういう方が書いたもので、一高が研究対象でもありつつ自分自身のアイデンティティも反映させたかのような文章ですよね。

小手川:その文章が、かつて一高生が書いていた文章とリズムがどこか似ていたというか。「一高」について語るときの文体とか調子とかが重なっているように見えて、だから映画の原作になっているわけではないのですが、なるほどこういうふうに「一高」についての言葉が書かれるのかと、そういう「一高」への意識を参考にしたという感じでしたね。

多田:そういう方がいるというだけでも面白いというか(笑)。いまの東大生って、一高のことは知っているんだろうけど、そんなに一高のことを考えている学生っているんですかね。

小手川:いないと思いますね。もしかしたら一高のことを知らない学生もいるというレベルだと思います。博物館に入る学生が、これって一高の時代からあったんだなとか思わないだろうし、昔は寮があったことさえ知らない学生もいるんじゃないでしょうか。

多田:小手川さんとしては今回こういう映画をつくることになって、以前よりも一高生の解像度が上がったとかありましたか?

小手川:そうですね、制作前は僕も一高についてほとんど知らなかったので……知っていくと言っても、一高の資料はたくさんあって、そのすべてを見て理解するというのは不可能に近くて ── すべてを作品に入れることもできないですし ── できる限り資料に目を通したんですけど、やっぱり限られた制作期間のなかで取捨選択は避けられないということを自覚しながら制作を進めていましたね。その過程で、さらに自分というプリズムを通して一高がどう見えるのか、つまり、どういう目を自分は持ってしまっているのかと……たとえば高原さんもそうですけど、資料を読めば分かるだろうとは思わないようにして……解像度が上がってもやっぱり歪みはあるわけで、どのようなレンズで一高という対象を見ているかをなるべく自覚することを制作の一つの倫理としていたと思います。

■ SPAC版『伊豆の踊子』の視点

多田:なるほど。ところで続々と質問カードが……。

小手川:そうですね、続々と、ありがたいことで……あの、質問を読むあいだ、『籠城』とは少し離れてしまうのですが、多田さんにご質問したいことがあって、SPAC版「伊豆の踊子」は原作が川端康成の短編小説ですよね、それを演劇作品に落とし込むという作業があったと思うのですが、「伊豆の踊子」はこれまで何度も映画化されるなどいろいろなヴァリエーションがあって、多田さんはそうした原作のどこに注目して、自分の作品にアダプテーションしたのかな、というのをお聞きしても良いでしょうか。

多田:原作の「伊豆の踊子」はいま読むと結構内容はサラッとしていて、すごい盛り上がりがあるわけでもない。小説は学生の視点で書かれているんですけども、僕が読むとやっぱり気になるのは書かれていない旅芸人の視点で、彼らが何を考えていたのかということ。旅芸人たちは弱者として登場していて、それは小説の中でも時代背景としてもそうで、やっぱりいまはそうした人々の気持ちを考えていく時代なので、「伊豆の踊子」を上演する際に、小説には書かれていないんですけども、そこを想像できるようにできたら良いかなと思っていました。学生の気持ちは小説に書かれているので、読めば分かるというところもあったりするんです。といっても学生の生い立ちや一高のことが詳しく小説に書かれているわけではないので、そのあたりを川端康成の他の作品から持ってきたりしながら造形を深めていこうという感じでつくっております。

小手川:「伊豆の踊子」以外の作品も参照したんですか。

多田:そうです。「伊豆の踊子」に触れている他の川端の作品もあったりするので、そこから持ってきたりもしています。

小手川:もうひとつ質問があるのですが、SPAC版「伊豆の踊子」は映像も使うということで、演劇に映像を用いるのは現在ではいくつか方法があるとは思うのですが、今回はどういう意図で映像を使うと決めたのでしょうか。

多田:ぶっちゃけて言えば映像を使った演劇をつくってくださいと言われたというのがあるんですけども……でも「伊豆の踊子」は静岡の財産なので、ちょっと観光要素というか、伊豆や静岡の魅力がお客さんに伝わるような要素を入れた作品にしたいというのがあって、それで映像ということなんです。「伊豆の踊子」はいちおう小説で、ほぼほぼフィクションなのですが、実際に主人公が泊まった宿も残っているし、道もほぼそのまま残っている。当時に見られた景色をあまり変わらず見ることができるので、そこに行って、映像を撮ってきて、舞台の背景などに流している。実際に映像を流して、目の前に俳優がいるとどうなるかなと思ったんですけど、意外とその場にいるように見えたりするので、最近の映像はすごいなあと(笑)。でも、俳優の身体、俳優が持っている情報量が失われるわけでもないので、映像の良さと演劇の良さが意外とおもしろく組み合わさっていて。そこに行ったようにも見えるし行きたくもなる、ってところを目指しています。

小手川:『籠城』を観て、じゃあ駒場キャンパスに行こうとなるかというと……。

多田:(笑)でも地下道があるなら行ってみたいな。

小手川:残念ながら地下道は閉鎖されていて、ふつうには入れないんです。たぶんいまの学生も地下道があるとは噂程度に知っているかどうかという感じで、都市伝説的な存在になっていると思います。

多田:余談ですけど、駒場東大前にあるこまばアゴラ劇場というところがあって、4年間くらいホームグラウンドにしていたので、実はすごい見慣れた景色で(笑)

小手川:そうですよね。駒場東大前駅に行って、大学側とはちょうど反対側から出ると劇場がある。

宮城嶋:それこそあのあたりの通りを一高生が闊歩していた。

多田:でしょうね。そういえば、あのあたりは山手っていう美味しいラーメン屋さんがあって、いまもあるのかなとか。まあどうでもいいことですが(笑)

小手川:いくつかお客さんからご質問をいただいているわけですが、すみません、お答えする前に、先ほどの「伊豆の踊子」には書かれていない旅芸人の視点に関心を向けたというお話が興味深いです。

多田:そうですね、気になるんですよね。あの作品は穿った見方をすると、エリートが田舎にやってきて、田舎の景色や優しさに触れて、自分だけスッキリして帰ってくるみたいなふうに見ようによっては見えるわけで。そういう話ではないとは思うんですけど、いろいろ想像ができるなと。

小手川:そのお話を聞いていて、『籠城』は対照的で、どのように一高生が一高を見たのか、という一高生の視点に限定して、その狭いところを掘り崩していこうというアプローチを採ったなと考えていました。籠城という名の閉鎖的な環境のなかにいるエリート意識が強い一高生たちに対して、外部の視点を持ってくることも可能だったと思うんですけど、その内部だけで一高や一高生、そして彼らを取りまく歴史っていうものを考えられるかというのが自分たちのアプローチだった。

後半につづきます。
レポート(後編) / 『籠城』上映会 & ディスカッション

[ 開催概要 ]
ココモンズ主催
SPAC『伊豆の踊子』応援企画
ドキュメンタリー映画『籠城』上映会 & ディスカッション

第1部:『籠城』上映会、第2部:ディスカッション
登壇者:小手川将(本作品監督)、多田淳之介(演出家)
日時:2023年9月22日(金) 19:00 – 21:00
場所:MIRAIEリアン コミュニティホール七間町

[ 登壇者プロフィール ]

小手川将(こてがわ・しょう)
1993年生まれ。映画作家・東京大学大学院博士課程。専門は映画論、表象文化論。現在の研究対象はロシア・ソヴィエト映画、とりわけアンドレイ・タルコフスキーについて。論文に「観察、リズム、映画の生──アンドレイ・タルコフスキー『映像のポエジア』の映画論における両義性」(『超域文化科学紀要』26号、2021年)。2023年、NPO法人三保松原・羽衣村「羽衣の夢」プロジェクトに参加。

多田淳之介(ただ・じゅんのすけ)
1976年生まれ。演出家。東京デスロック主宰。古典から現代戯曲、ダンス、パフォーマンス作品まで幅広く手がける。創作活動と並行して公共劇場の芸術監督や自治体のアートディレクター、フェスティバルディレクターを歴任。2013年日韓合作『가모메カルメギ』にて韓国の第50回東亜演劇賞演出賞を外国人演出家として初受賞。東京芸術祭共同ディレクター。四国学院大学、女子美術大学非常勤講師。SPACでは2018年に『歯車』(芥川龍之介作)を演出。

■ 宮城嶋遥加(みやぎしま・はるか)
SPAC-静岡県舞台芸術センター俳優
東京大学大学院総合文化研究科修士課程を宮城聰の演劇に関する論文で修了。SPAC-静岡県舞台芸術センターを中心に国内外の舞台に立つ。主演作品にSPAC『ロミオとジュリエット』、静岡県文化プログラム『かぐや姫、霊峰に帰る』、フランスを拠点とする馬術演劇カンパニー『Lunar Comet』など。学術と実践両方の立場から演劇を探究した経験を活かし、ワークショップ講師や演劇的な手法を活用した企画のプロデュースなど、様々な活動を展開している。

[ 関連情報 ]

SPAC 秋→春のシーズン 2023 – 2024
新作『伊豆の踊子』
開催日時:2023年10月7日(土)、29日(日)、11月11日(土)、12日(日)、18日(土)、19日(日)
各日14:00
会場:静岡芸術劇場
SPAC公式ページ

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