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前編『χορός/コロス』を観て心に浮かんだいくつかのこと。

cocommons主宰柚木による『χορός/コロス』観劇記を掲載します。柚木は稽古取材を何度か行っており、また会場となった芸術祭交流スペース「フェスティバルgarden」のディレクターを務めていたこともあり、ゲネおよび全公演を観劇しています。本番だけでなくそのような経験を踏まえて感想以上劇評未満のようなかたちで本稿を綴りました。(敬称は省略させて頂きました)
・cocommons『χορός/コロス』稽古取材レポート vol.1
・cocommons『χορός/コロス』稽古取材レポート Vol.2 – コロスって何?
・cocommons『χορός/コロス』稽古取材レポート Vol.3 – 本番直前

『χορός/コロス』を観て心に浮かんだいくつかのこと。前編

柚木康裕 (cocommons)
2023年5月14日

希望は光を浴びた舞台の真ん中ではなく、周縁の暗がりにある。
(『暗闇の中の希望』レベッカ・ソルニット)

『χορός/コロス』は静岡市で開催されたストリートシアター・フェスティバル「ストレンジシード静岡 2023」のコアプログラムとして上演された。会場は駿府城公園東御門前広場。広場といっても未舗装で風が強ければ砂が舞うような場所だ。ここはフェスティバルの交流スペース「フェスティバルgarden」として解放しているエリアでもあり、常に人々が行き交い賑わう。この解放的で空が大きく見渡せる空間がこの演目の舞台となった。

上演は5月4日から6日までの3日間、各日1公演で計3回行われた。演出はウォーリー木下。東京2020パラリンピック開会式や2.5次元演劇などで活躍する演出家だ。彼の長年温めていたコンセプトが具現化したのが今回の『χορός/コロス』である。彼は主役のいない集団の作品を目指し、より多くの参加者を求めていた。結果的に出演者は演出チームを務めるプロパフォーマーと公募参加者によって構成され70名ほどを数えた。『χορός/コロス』はノンバーバル(非言語)の表現に属するダンスとマイムをベースにした演目とよべる。ゆえに複数の登場人物のダイアログによる群像劇ではなく、集団をひとつの主体として描く群衆劇とでも呼べる作品としてつくりあげていたことに注目すべきだろう。

開始直前。それぞれがばらばらに会場へ現れ、おもいおもいに過ごす。

『χορός/コロス』の上演時間は約40分。目まぐるしく変化する展開に刮目させ続けられるのだが、この物語の筋はとてもシンプルに語ることが出来る。それは「数万年に渡る人類史」である。この人類という集団を語るために少なくとも60名を超える出演者が必要だったということだ。舞台装置は18台のベッドのみ。だが、何もない空間にずらっとベッドが並ぶだけでも演劇的効果は十分で、通行人も何が始まるのかと興味の視線を向ける。

このベッドのユニークな使い方には、唸った方も多かったのではなかっただろうか。物語を導入するために出演者と観客を夢に誘う。長方形に寄せ集めれば帆を張った船となる。そのものを立てることによってビルを見立て、都市をつくりだす。それらを同時に揺らすことにより地震が発生する。そして、再びベッドに戻せば人々が休む場所となる。この変化のダイナミズムは演劇ならではの面白さだ。演出家のセンスが光る。

ベッドが寄せ集められて船となる。小道具を巧みに使い演技にダイナミズムを与える。

ただもう少し演出家の狙いを深読みするならば、このベッドは家にある健やかな眠りのためというよりは(野戦)病院あるいは(兵士)宿舎にあるような簡易ベッドのようであることに注目したい。それは仮の休息場所だ。あるいは出来るなら使いたくない類のもの。SPAC-静岡県舞台芸術センター初代芸術総監督鈴木忠志は「世界は病院である」と喝破したが、そのことを思い出しても良いだろう。私たちが今現在この簡易ベッドの使い主なのかもしれないという疑い。私たちは何からの手当が必要な病人だとしたら。だが当事者意識がない病人ほど厄介な者はいない。この18台の簡易ベッドは無言でそう告げているようにも見えてくる。

この舞台を群像劇ではなく群衆劇として決定付けていたのは、出演者の発する声だ。言語未満の声。それは私たちの遠い遠い祖先が発していたのではないかと思わせるのに十分な原初的な音の響きだった。出演者たちは「タチツテト」のみ発話することが許されていた。それゆえに彼ら彼女らの会話は動物のような振る舞いを際立たせる。この半ノンバーバルであることが、この舞台に多くの人を惹きつけたことは間違いないだろう。会話を理解できなくても、そのコミュニケーション自体が「社会」というものを表象し、私たちに近しいものとして迫ってくるのだ。それが群衆劇と呼ぶ所以でもある。

またそれをしっかりと支えていたのが音楽チームのリーダー吉田能率いる音楽隊による生演奏だった。大胆にも野外にグランドピアノを設置。ほかにカホンや縦笛などもあるが、楽器と呼べない日用品やガラクタのようなものも使い音をかき鳴らしていく。吉田能は時にピアノで印象的なメロディを奏でながら、時にパーカッシブな効果音を音楽隊によって響かせるなど、それらを変幻自在に使いこなし、シーンを深く印象付けていく。

つづきはこちらです。
『χορός/コロス』を観て心に浮かんだいくつかのこと。中編

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