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Vol.2『χορός/コロス』稽古取材レポート – コロスって何?

静岡ストレンジシード2023のコアプログラム『χορός/コロス』の稽古取材に再び訪れました。前回に続き2回目のレポートとなります。

4月26日17時30分。場所は静岡市民文化会館の展示場。全体稽古が今週から本格化し、この日もほぼすべての出演者が揃い稽古場はとても賑やか。参加者のやる気とワクワクで空間が満たされ、活気にあふれています。このような場から生み出される作品はどれほどのパワーを持つのだろうかと期待も高まります。

参加者同士で盛んにディスカッション。

突然ですが『χορός/コロス』の意味をご存知でしょうか。ふと気になって連れ合いに尋ねたところ「何それ。宇宙?」という返答。。。(コスモスからの連想かな?)。なるほど、自分の知っていることは皆も自明なことだと思い込み、説明もなく使ってしまったことを今更ながら反省しました。

前回の稽古レポートで脱中心的な舞台つくりだと感じたと伝えましたが、それも『χορός/コロス』の意味が分かって初めて理解できるのかもしれません。そこで改めてこの題名の意味するところを伝えながら今回のレポートを進めたいと思います。

『χορός/コロス』とは、古代ギリシア劇の舞踊合唱集団のことを示し、特にギリシア悲劇には不可欠なものであったと言われています。英語で「CHORUS」。そう、合唱のコーラスです。「コロス」が由来とも言われています。現代の演劇では主役の周りに配置する歌唱(あるいは発話)集団という意味で使うことが多いと思います。ただそのコーラス的なイメージとはまったく違い、古代ギリシアの演劇では舞台の進行に欠かせない大切な役割でした。そもそも古代ギリシア劇の始まりでは俳優は存在せずにコロスだけで演じられていて、その中から一人が徐々に俳優のように語るようになったようです。ここで時田浩氏の論文を引いてみます。

ギリシア悲劇ではコロスが悲劇の原点だった。悲劇が先にあって、あとから音楽や舞踊のコロスが付け加えられたのではない、コロスが先にあって、その中から一人、二人と役者が出てきて、そして最後には三人の役者が登場人物を演ずるようになったといわれる。ということは、古代の観客たちは何よりもまず歌や踊りを見物して楽しんでいたのである。
「ブレヒトのコロス : 『アンティゴネー』改作における非音楽劇化」時田浩

私たちは演劇というと俳優が語る舞台というイメージがありますが、原初の演劇はそもそも踊りも伴う音楽劇でした。それが時代とともに舞踊も合唱も舞台から消え去り俳優だけが残ったということです。ではそれは何故か。このレポートでは脱線しすぎなので触れませんが、気になる方は以下の論文「アリストテレスの演技論 ー 非音楽劇の理論的起源 ー」をお読みください。とても興味深いです。著書はSPAC-静岡県舞台芸術センター文芸部に所属し、東京演劇祭ディレクターとしても活躍する横山義志さん(演劇学博士)です。

こう考えると、ウォーリー木下さんの演出はまさに古代ギリシア劇のコロスを現代に蘇らせる試みとも言えるのかもしれません。主役のない舞台をつくりたいという発言もここに繋がってきます。これは俳優以前の身体性によって踊り歌う原初の演劇の祝祭性の復活なのでしょうか。上演前の現時点ではもちろんそれは判断つきません。それでも『χορός/コロス』は「俳優/主役」を必要としていないことは確かなようです。ただ古代ギリシア劇が舞台上にコロスのみだったから脱中心的かといえば、それは早合点と指摘されるでしょう。そもそもそれらの劇はディオニソス神に捧げるものとしてありました。つまり絶対的な中心として神の存在があったと言えます。ゆえに脱中心的という考えは古代ギリシア劇にはそぐわないということかもしれません。それではウォーリー木下演出『χορός/コロス』に脱中心的なことを感じるのはなぜか、それともやはり中心としての神が存在しているのか。今回の稽古でお話しを伺った時に、そのヒントになることをお話しされました。

(『χορός/コロス』を上演しようと考えたのは)集団の美しさとか暴力性とか儚さとか、実は世界を動かしているのではないかとか30歳のころから考え出すようになってたのが、そもそもあったんですよね。僕たちの世代は個性を持つことが大切だと教育されてきた世代で、いかに一人一人違うかとか、個性があるとか、伸ばすみたいなことで人生を教育つけられてきました。でも実際は自分の個とか関係なく、起こっていく出来事がほとんどじゃないですか。世の中は何か捉えどころのない集団によって動いているという感覚があって、何か、それを描かないと次にいけないなという気持ちがすごくあって。

集団(≒コロス)への興味。そこから出発した問題系がどのような作品となって、私たちの目の前に現れるのか。ウォーリーさんの頭の中にイメージが溢れていても、それを具現化させるのはそれほど簡単ではないでしょう。もちろんそれを十分に理解しているからこそ、このような稽古スタイルを取ってクオリティを積み上げているのだと思います。そのあたりの難しさも語ってくれました。

これまでやりたかった企画でしたけど、出演者を60から70名集めることが企画的には無謀なのでなかなか通らずで、ようやく今回そのチャンスがやってきました。これまでストリートシアターをやってきて、野外は作品に強度がないと耐えられないことは知っていて、まだ全然自信がないですよ。本当にどこまで仕上げていけるのか。ぶっちゃけ下手したら文化祭になってしまうし、マスゲームの賑やかな話に終わってしまうので。もちろんそういうお祭りというかパレード的な雰囲気、市民参加のパレードみたいなものも嫌いではないですけど、今回目指すのはそこではなくて。パフォーマーがこれだけ集まると表現の可能性が増えるんだと、観ている人もこれは見たことないなと思ってくれるといいですけどね。でもだからと言って稽古で質を上げるために「おまえたち、もっと汗かけー!」みたいに言うのは全く違って、どちらかというと作品の強さは、最近思うのはやっぱりどれだけ楽しくやるかが強度に繋がると思ってます。昔だったらストイックに繰り返し稽古して、何回も同じことが出来て、それぞれが強い個を持って集まってこないと無理だと思ってたけど、今はあまりそうではなくて、どちらかといえば自由で楽しいことが出演者みんなで出来れば、演劇初めての人がやっていても強いものがつくれると思うんですよね。

まさに稽古場での様子はこの「自由で楽しいこと」にあふれています。もちろんその中でもしっかり集中力も持ち得ている。その緩急がいい塩梅にあることが感じられる現場です。これがどのように作品の強度へ繋がっていくのか本当に楽しみです。いよいよあと1週間ほどで幕は上がります。次回のレポートは現地リハの様子をお伝えしたいと思います。

テキスト・写真:柚木康裕(ココモンズ主宰)

ストリートシアター静岡 コアプログラム
ウォーリー木下 作・演出『χορός/コロス』
5/4(木・祝)〜6日(土) 11:00〜11:40(全3公演)
『χορός/コロス』は無料でもご覧頂けますが、有料の椅子席も用意されています。お申込み方法は以下のSAPCチケット情報でご確認ください。
 → 砂かぶり椅子席(自由席・整理番号順)(SPACチケット情報ページ)

『χορός/コロス』は現在クラウドファンディング公開中です。
CAMPFIRE – ストレンジシード静岡2023コアプログラム『χορός/コロス』製作支援

ストレンジシード静岡のnoteにウォーリー木下さんといいむろなおきさんのインタビューが掲載されています。
演劇の”魔法”を届けたい『χορός/コロス』インタビュー

・cocommos『χορός/コロス』稽古取材レポート vol.1

[ 関連ページ ]
ふじのくに⇄せかい演劇祭 2023
SPAC-静岡県舞台芸術センター

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