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レポート / レクチャーパフォーマンス「宮城聰の演劇実践」

柚木康裕(cocommons)
2023年3月7日(火)

 レクチャラーの宮城嶋遥加は演出家宮城聰が芸術総監督を務めるSPAC-静岡県舞台芸術センターの所属俳優である。宮城嶋は静岡大学在籍中からSPAC俳優として現在まで多くの作品に出演し、地域の同世代では抜き出て舞台経験が豊富だ。静岡大学を卒業後は、演劇の理論を学ぶために東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コースへ進学。俳優と研究者という二足の草鞋に奮闘しつつ5年掛けて昨年度に修士学位論文を提出し卒業した。今回の発表はその論文をベースにしたものである。

 近年、宮城嶋の俳優活動は劇場だけでなく社会のフィールドにも広がっているが、軸はやはりSPACであろう。小学生から関わりだし、中高はSPACの育成事業に継続して参加し、大学で本格的にSPAC俳優としてデビューした。その意味で彼女はSPACの人材育成の成果を体現している人物といえる。そして、その年月は宮城聰が初代芸術総監督鈴木忠志から2006年に芸術総監督を引き継ぎ現在に至る時期と同じだ。つまり宮城嶋にとって、宮城は幼い頃から間近で見続けてきた演出家であり、それゆえに演劇、演出、演技を考えるにあたってつねに出発点になっていることが想像できる。また自らが所属する組織のトップでもある。そうした人物を論ずるということは、「私」だから見えている宮城を書けるという研究者の挑戦である一方で、SPAC俳優としての「私/身体」をより腑に落とす行為でもあっただろう。そうして執筆されたのが、 修論【 演技する「個」から「開かれた身体」へ - 近代的主体を超越した宮城聰の演劇実践 -】なのではないだろうか。

「演技する個から開かれた身体へ -近代的主体を超越した宮城聰の演劇実践-」目次

 宮城嶋は今回のレクチャーで80枚ほどのスライドを用意した。この8万字を超える論文をそのまま発表するのでは2時間で当然収まらないために、適宜省いたわけだがそれでも80枚である。それは論文の主旨を最低限伝えるために必要な分量ということだろうか。来場者には主に言及する箇所へ下線を引いた論文の目次をハンドアウトとして配った。序論、結論、各章ごとほぼ均等に下線が引かれているので、大事な箇所を押さえながら全体像(要約)を参加者に伝えることを目指していることが窺われる。目次を見て印象的なフレーズは、「演劇を外側から規定」や「身体を脱却する」など。または宮城演出の近年欠かせない要素である「祝祭性」も目を引く。
 開始時間となり自己紹介からレクチャーは始まった。

 宮城嶋は宮城が演劇に求める「弱さ」や「欠落」の実相をまず探っていく。それは俳優として頭で理解できても身体がすんなり受け入れられないところからくる彼女自身の葛藤を示しているようにも見える。演技とは鍛錬のすえに上達するものなのではという疑問。事実、SPACでは体幹を鍛えるアスリートのように強い身体が求められているのではなかったか。では、それは宮城の「弱さ」とどのように整合するのか。宮城嶋は宮城が演技を外側から規定していくことによって、身体に「弱さ」を付与しようとしているとみる。たとえばSPACの音楽はそのひとつの例として示していく。これは実演のスコアを見せながら説明し、出演者ならではの分析があり、とても興味深くかつ納得いくものだった。

 では、なぜ宮城は「欠落」や「弱さ」を求めるのか。宮城嶋はそれを考えるために近代的主体としての「個」という概念を持ち込む。近代的主体とは人間中心主義とも言い換えられる。そうした万能感を持ち合わせた「個」を演劇というメディアはいかに解体できるのか。その実践としての「二人一役」、「聴覚部門の基本線を作り込む」、「ロクスとプラティア的な演出手法」などが紹介されていった。それらは俳優の能力を恣意的に制限させる手法という共通点を見出せる。つまり強くあろうとする俳優の身体を規制させているということになる。

 ただ、この「弱さ」は、いわゆる現代口語演劇に代表されるような「静かな演劇」に向かうのではないようだ。宮城の演劇実践が求めているのは、舞台での人間の自制された振る舞い(=弱さ)なのであって、演劇として表象される舞台が「静か」であることではないということだろう。例えば、現代口語演劇を代表する平田オリザ、その継承者のひとり岡田利規(チェルフィッチュ)などが表現する「弱さ」と、宮城演劇は一線を貸しているのは明白である。その時に参照される演劇(人)はアングラ世代だ。確かに宮城の近年の祝祭性の高い演劇群は、アングラ世代にあった熱量を想起させる。その意味では寺山修司や唐十郎、鈴木忠志の系譜に位置付けるのは頷ける。もちろん、宮城嶋は小劇場第一世代の求めていた俳優の強さと宮城の求める俳優との違いを明快に指摘する。

SPAC『アンティゴネ』提供 宮城嶋遥加

 宮城演出で近年特徴的な前説や劇中の小芝居を宮城嶋は「ロクスとプラティア的な演出手法」として説明する。ロクスは舞台、プラティアは舞台下の空間を指す。プラティアでは観客がより本編を楽しめるような小芝居が行われる。SPAC『アンティゴネ』はその典型として紹介された。ただこれは、宮城嶋が「作品に内包されたエンゲージメントのための装置」と説明するように、単に観衆をおもねているのではなく、観客がより深く作品世界へのコミットメントを得るための芸術的実践ということだ。

 レクチャーの終盤ではアルトナン・アルトー「残酷演劇」との類似性を説明し、世阿弥の「内心」を通過し宮城演出の核心「開かれた身体」に触れていく。そうして2時間のレクチャーは終了した。これは宮城嶋が俳優という自らの身体を研究者としてメタ的な視線で観察した成果と言えるのではないだろうか。演技する「我」、「私」、「個」という問題系へのあくなき興味を実感できる。私も宮城作品の経験はけっして少なくないが、改めてその演出を理論的に俯瞰することができてとても貴重な時間となった。参加者一同もこのユニークな発表に満足の表情を浮かべていたのは言うまでもないだろう。

SAPC『アンティゴネ』舞台風景

ー 後記
 宮城嶋さんと以前お話ししていたときに俳優以外にも演劇で挑戦したいことがあると語っていた。そのひとつがこのような研究活動だと理解できる。俳優でない演劇活動の成果をこうして発表するということは、彼女にとって励みになるだけでなく、私たちや地域の演劇にもとても有意義なことだ。今回は宮城さんご本人も参加され、こうした思索の場が形成されることは静岡のポテンシャルを示しているだろう。それも幼い頃に地元で演劇に出会い、現在も地元を拠点として演劇を続ける俳優の心意気があってこそだ。宮城嶋さんにはこのような機会をつくって頂き本当に感謝したい。そして更なる進化を楽しみにしている。

SPAC芸術総監督宮城聰氏がレクチャー後感想を述べる。

[ レクチャラー プロフィール ]

宮城嶋遥加(みやぎしまはるか)
東京大学大学院総合文化研究科修士課程を宮城聰の演劇に関する論文で修了。SPAC-静岡県舞台芸術センターを中心に国内外の舞台に立つ。主演作品にSPAC『ロミオとジュリエット』、静岡県文化プログラム『かぐや姫、霊峰に帰る』、フランスを拠点とする馬術演劇カンパニー『Lunar Comet』など。学術と実践両方の立場から演劇を探究した経験を活かし、ワークショップ講師や演劇的な手法を活用した企画のプロデュースなど、様々な活動を展開している。

[ 開催データ ]
レクチャーパフォーマンス「宮城聰の演劇実践」
〜 演技する「個」から「開かれた身体」へ 〜
レクチャラー:宮城嶋遥加(SPAC俳優)
日時:2023年2月27日(月) 19:00〜21:00
場所:ギャラリー青い麦
参加者:14名

主催:cocommons

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