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後編『χορός/コロス』を観て心に浮かんだいくつかのこと。

cocommons主宰柚木による『χορός/コロス』観劇記の後編です。
以前の記事はこちら。前編中編

『χορός/コロス』を観て心に浮かんだいくつかのこと。後編

矢継ぎ早に展開される局面を全力で演ずる出演者たち。その多くは一般公募で集った人々だ。いわゆる市民参加型という方法を取っているのだが、市民参加型の目的はしばしば経験や繋がりであったり、多様性を身につけるというような耳触りの良い言葉によって参加そのものが成果となるきらいがある。だが『χορός/コロス』は木下がいうようにストリートシアター・フェスティバルのコアプログラムとして作品クオリティにこだわると明言していた。あくまでも作品の評価が大事であり、誤解を恐れずに言えば出演者は作品のために奉仕が求められている。(もちろん演出家から出演者への演出アプローチは十分に配慮されている。詳しくは稽古取材レポートvol.2を参照のこと)

結果を見れば、この作品は市民参加の美談で終わることは無かった。それは終演後の観客の感想を見れば一目瞭然だろう。好き嫌いはあるにせよ、GW只中のバカンス気分に似つかわしいと言い切れない人間の普遍的な難問を正面から扱った作品に好意的な感想が多く寄せられた。深く考えさせられたとの声や圧倒されたという声もしばしば聞いた。多くの観客が作品そのものを評価していたことは注目に値する。筆者は「出演者のみんなはがんばっていたね」というような労いだけの言葉をほとんど耳にすることはなかった。

次々と変化するシーンに目が離せない。

先ほど出演者たちは集団を維持するためのアノニマスな存在に甘んじているのではない意志を感じたと述べたのは、逆説的に指導者がいなくても集団を維持できる個(性)を発揮していたことを感じたことによる。演者としての個の強さを持ち得ていたからこそ、作品の評価へと繋がったはずだ。そこで改めて個の存在感を発揮した60名超の参加者の顔ぶれを確認してみたい。実を言えば募集してきた方たちは舞台経験を豊富に積んできた俳優やダンサー、パフォーマーが少なくなかった。例えばSPAC俳優のような高度なスキルを持ち合わせたプロフェッショナルも多く参加していた。その方達が経験の浅い参加者をリードしていくという具合に出演者全体の質を上げることで作品に強度を与えていたのは間違いないだろう。どんなに作品コンセプトが良かろうと演出が良かろうと、私たち観客は目の前の演者を通して作品を感じるしかない。演者は「個」としての力がない限り、その舞台を全うできないだろう。しかし同時に「個」を奉仕しなければ作品に強度は生まれない。その両極を引き受けることが演者の努めだと感じるが、その姿勢を感じさせる演者が大勢いたことがこの舞台を成功に導いていたのではないだろうか。

傷つき疲れ果てた時に、人々は何を思案するのだろうか。

もう1点重要なポイントがある。確かに目を凝らして演技を見ていれば、経験の浅さを感じる演者もいたことは確かだ。ただそれが集団として見る時にけっして足を引っ張る存在に見えなかったのはなぜだろう。終演後に多くの出演者が述べていたことを鑑みると、演技レベルをプロに合わせるのではなく、丁寧にレベルの落とし所を探ったことによる効果が大きかったようだ。無理を強いらせないことで、臆することなく自分自身の力を出す。プロがいるから萎縮するのではなく、プロがさりげなく支えてくれることへの期待に応えようとして力を振るう。そこには個を認め合い集団を形成する姿がある。このような共助の力を持つチームに育てた演出家の力量に改めて感服する。

どんな多数が出演していようとも観客はその中の一人をフォーカスして観るものだ。その時は集団の主役はフォーカスされた演者である。そうして観客は次々と主役を変えながら舞台を追うのだ。演者はコロスだからといって、手を抜くことは許されない。だが、それを言うことはもちろん野暮であった。出演者は舞台に立つ個としての矜持を持って取り組んでいた。

出演者が口を揃えて一番ハードだったという殴る蹴るの乱闘シーン。(実際に触れてはいない)

この舞台は困難を乗り越える人類の再生の物語ではなく、もっと生々しい社会の現実を突きつけてくる。安直な希望を示されることもない。啓蒙や道徳を語ることもない。あまりにも非情だろうか。いや、そうではないだろう。目を覆わずに直視すれば、これが私たちの日常だと理解するしかないのだ。つまり『χορός/コロス』は鏡なのだ。私の鏡。私たちの鏡。鏡自体は何も語らない。だが、ゆえに、あるがままの姿だけを見せつけるから、激しく動揺する。私たちに迫ってくる。

この作品は集団の中の個のあり方を深く考えさせるものだった。個(出演者)と集団(作品)が拮抗し、協調と対立の間で揺れる。それは現代日本における大小さまざまな共同体が直面している問題とも感じられる。村祭りは生まれ変わるのか。犠牲のみに甘んじるのではない個がつくりだす新しい集団の姿。そのプロトタイプを『χορός/コロス』は示していた。そこに希望を見ることも可能ではないだろうか。もちろんそんな簡単に約束の地には辿り着けない。個と集団の間で激しく衝突を繰り返すはずだ。砂埃をあげて殴り合うように。ままならなく叫び声をあげるように。それでも愚直に不器用に青い鳥を共に探す旅を続けるのだ。時にベッドで休みながら。

遠い遠い遥か遠い昔。火を手に取った時から私たちは人間となることを選んだ。そして、2023年5月、私たちはここにいる。

柚木康裕(cocommons)
2023年5月14日

公演情報
『χορός/コロス』
ストレンジシード静岡 2023 コアプログラム
https://strangeseed.info/program/
日時:5月4日(木・祝)、5月5日(金・祝)、5月6日(土) 各回11:00
会場:駿府城公園エリア[フェスティバルgarden(駿府城公園 東御門前広場)]

作・演出・構成・美術:ウォーリー木下
振付・演出・出演:いいむろなおき/金井ケイスケ/黒木夏海/冨田昌則
音楽:吉田能
振付:HIDALI

出演:朝池潮(演劇ユニットHORIZON)/阿部明人/池谷咲/池ケ谷優希/泉健斗/市川真理(team ECRiN)/井上さつき/大石美亜/おおもりやすひろ/笠原麻美/梶本瑞希/鐘木誠斗/⼩林明葉/小山侑紀/齋木陽菜/佐藤ゆず/さゆ~る/塩見友貴/嶋村彩/鈴木真理子/鈴木美幸/鈴木洋平/鈴木綸花/芹澤佳歩/五月女侑希/たきいみき/立石りのあ/塚本恵理子/土田ななみ/手老風磨/ながいさやこ/仲澤剛志(トツゲキ倶楽部)/西岡彩貴(リップス ボイスアルファ)/萩原三衣子(めっち)/はづき/東野寛子/平垣心優/福井ノブユキ(演劇集団es)/藤田まさのり/堀越千晶/堀慎太郎/益田萠/南岐佐/森園まっほー/諸星敦士/山岡温菜/⼭⼝瑠菜/山本ペロ/山本幸恵/吉田卓央/米澤有咲/渡邊清楓/渡辺六三志
アシスタント:浅沼圭/加藤みゆき/川口祐美/木村美咲/四方美古都/津谷そら/なみ(わかち座)/能條あかり/濱吉清太朗/平石祥子/藤井紀香/村上夏海/森陽菜

スタッフ
演出助手:友花
舞台監督:武吉浩二
衣装:木村美佳(劇団『Z・A』)
制作:三坂恵美

[ 関連情報 ]
ストリートシアター・フェスティバル「ストレンジシード静岡2023」
https://strangeseed.info/

フェスティバルgardenに設置したコミュニケーションボード。出演者による寄せ書き。充実感満載です!
来場者からの応援メッセージもたくさん頂きました。とても賑やか!

『χορός/コロス』を観て心に浮かんだいくつかのこと。
前編中編・後編

・cocommons『χορός/コロス』稽古取材レポート vol.1
・cocommons『χορός/コロス』稽古取材レポート Vol.2 – コロスって何?
・cocommons『χορός/コロス』稽古取材レポート Vol.3 – 本番直前

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『χορός/コロス』は、ストリートシアターとは何かを考えるうえにも示唆に富む作品だと感じる。

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