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(その1)布施安寿香ひとり芝居『祖母の退化論』Wインタビュー

SPAC-静岡県舞台芸術センター所属俳優布施安寿香さんは、自主企画のひとり芝居『祖母の退化論』を2020年に初演されました。その後、公演を重ねて2023年3月17日から19日にかけて東京神保町のPARA2Fで再び上演。演出は初演から務めている京都在住の演出家和田ながらさん。俳優が演出家を指名して始まったこのユニークな企画についてお二人にインタビューさせて頂きました。記事は五回に分けてお届けします。

日時:2023年4月1日
場所:zoom
インタビュアー・編集:柚木康裕 (cocommons)

布施安寿香ひとり芝居『祖母の退化論』
原作|多和田葉子(『雪の練習生』より)
演出|和田ながら(したため)
出演|布施安寿香(SPAC)
初演:京都(2020年12月)、再演(ツアー):静岡(2021年3月)、三重(2021年7月)、再々演:東京(2023年3月)

布施安寿香ひとり芝居『祖母の退化論』Wインタビュー(その1)

ココモンズ:布施さんへ。このテキストを選んだ理由とその魅力をお聞かせ頂けますか。

布施:思い立ったのは2019年でした。2020年で40歳になるので、このメモリアルな時にこれまでやったことないことをやろうと思いまして、ひとり芝居を思いつきました。以前ク・ナウカ[1]の先輩俳優阿部一徳[2]さんから多和田葉子[3]さんの『容疑者の夜行列車』を頂いたことがあり、小説をひとり語りで上演するのはどうだろうと。というのも阿部さん自身が本をまるまる一冊覚えて語るという1時間半くらいのひとり芝居をライフワークのように上演していたこともあり、その影響もありました。

『祖母の退化論』が収録されている『雪の練習生』は多和田作品で手に取った3作目の本でした。これがいいなと思いましたが、しばらく他にもいろいろ読んでみました。でもやっぱりこの本が一番しっくりきましたね。一人語りをしたいので「わたし」と一人称で、語りやすいこともありました。

ココ:和田ながらさんに演出をお願いした経緯は?

布施:2017年のことなのですが、京都造形芸術大学(現京都芸術大学)で太田省吾[4]のテキストをもとに数演目まとめて上演することをチラシで知って、面白そうと思って観に行きました。その演出家の一人がながらさんだったんです。すごい衝撃を受けました。太田さんご自身が演出した『ヤジルシ』を観たことがあるのですが、本人が演出しているのになんかしっくりこなかったのです。ご本人が書いていることと舞台で起きていることが違う印象なのです。確かに太田さんに憧れはあるけど分からないなって。そのような分からなさを持っていた太田作品でしたが、ながらさんのこの舞台は心がざわざわって反応し、身体にぐわっとくる感じを受けました。言葉が声に出された瞬間、綿飴や氷が溶けていってしまうように、その言葉が溶けてしまう感じ。爪先から言葉が入ってくるというか。

今、振り返ってみると太田作品は、舞台を見始めた頃に勅使河原三郎[5]さんのダンスを観劇した時の印象に似ていたんです。よく分からない何かに身体の中を掻き回され、椅子に座っていることが耐えられないような。まわりに人がいるのもいやみたいな気持ちにもなってしまい。逃げたいなぁとも思いました。いやな思い出(笑)。でも、のちのち考えるとそれだけ衝撃的な舞台を観たってことだったのは分かります。若すぎたんですね。耐性があまりになくて。ながらさんのその舞台を観たときは耐性もついていた。それにダンスのように肉体が直接迫ってくるのではなく言葉で伝えるものだったので、それがクッションになりました。でも言葉で受け止める冷静さはあるけど、指先からしっかり身体に迫ってくるというか。その両方がありました。太田さんのテクストは言葉であることを否定しているというか、いやがっているみたいな印象があって、だから言葉がどんどん削られていき、その空間につくりだすものとして言葉でないものに移行していったんだなと。そういう太田さんの演出とか目線とか考え方をながらさんの舞台で初めて垣間見たなっていう印象を持ったことが残っていました。それにあの舞台が長かったことも覚えてます。

和田:『裸足のフーガ』ですね。その公演は太田省吾が立ち上げた学科の卒業生で若手演出家として活動している3人が、太田省吾のテキストを再読する研究プロジェクトの上演実験という位置づけでした。私は『裸足のフーガ』を一切カットせずにやったんです。3作品のオムニバス公演なのに一人で2時間も上演していました(笑)。

布施:あの舞台は激しさが全然無いのにずっと見てられたのが印象に残っていました。そうして和田ながらさんという演出家を覚えたのですが、そうしたら『鳥公園のアタマの中展2』のリーディング公演で再び出会いました。ながらさんのテキストに対する態度とかが、あぁなるほど、こうして細かく考えてつくる人なんだなと腑に落ちて、この人とテキストの話をすごくしてみたいと思ったんです。この時期は、ちょうど言葉に飢えていて。テキストを読むみたいなことをちゃんと話せる人がまわりにいなくて、そのふたつの事が合致してながらさんにお願いすることにしました。

ココ:2017年の『裸足のフーガ』を通じて和田さんに出会ったのですね。2018年秋にオルタナティブスペース・スノドカフェ[6]鳥公園のリーディング公開稽古に布施さんは俳優として参加されました。そして鳥公園から出演依頼が来て、東京へ行ったら和田ながらさんも参加されていたということですね。偶然なのか必然なのか、そうして和田さんに接近し声を掛けられたわけですが、和田さんからしてみればノーマークだったと思います。知らない俳優からこのように依頼を受けることはなかなか無いことではないですか。

和田:最初はすごく驚きました。布施さんからメッセージが届いた時は『鳥公園のアタマの中展2』の『終わりにする、一人と一人が丘』[7]のリーディングにいらっしゃった方だな、くらいの認識でしたから。それまでSPACの作品もあまり見たことがなかったので、どういう人なのかも分からない。ただ、俳優が一人芝居をしたくて演出家を捕まえるって、とってもいいことだなと思ったんです。「この作品やります!」というイニシアティブって、劇作家や演出家が握る場合が多い。でも、それだけしかないのはちょっと面白くない。演出家や劇作家以外の職能、例えば俳優やテクニカルスタッフが言い出しっぺになって、いろいろな人が作品をそれぞれのやり方でつくり始めたらきっと面白いですよね。2018年から京都の多角的アートスペースUrBANGUILDのブッキングスタッフとして仕事をしているのですが、店でのイベントを考えているときにも、そんなふうに思っていて。そして、ブッキングマネージャーのryotaroさんが長く取り組んでいる「FOuR DANCERS」をお手本に俳優バージョンの「3CASTS」を企画しました。

「FOuR DANCERS」は、一晩に4組のダンサーがおおむね30分ずつ上演する、というダンスのショーケース的なイベントです。UrBANGUILDは小さな箱ですし、劇場での公演のように何日も会場に入って稽古するというよりは、本番当日の日中にリハーサルして夜に公演する、というイベントが多いんですよね。「FOuR DANCERS」も「3CASTS」もそういったやり方で続けていて、「FOuR DANCERS」はまもなく250回目を迎えようとしています。「3CASTS」はおもに俳優にオファーを出して、毎回3組が出演します。ありがたいことにこれまで30回ほど開催できました。「3CASTS」では、わたしから出演者には上演内容のリクエストを出していません。しっかり作品として仕上げてもらっても実験的なワークインプログレスでもいいし、自作自演のソロパフォーマンスでも作家や演出家や共演者を巻き込んだものでもいい、出演の名義も個人だろうが劇団だろうが自由、という条件でオファーしています。俳優を焚きつけたらどうなるんだろう、っていう興味があって、なるべく思いついたことをそのまま投げ込んでもらえるような場にしようと思っています。だから、誰にやれと言われたわけでもない布施さんがやる気になって、個人的な交流がまったくなかった演出家を捕まえようとしたことがとても貴重だし、勇気のあることだと思いました。

しかし、『裸足のフーガ』はたった一回しか上演していないので、それを観ている布施さんはすごく稀な人だと思います(笑)。人となりをじかに知っていると、その評価が良くも悪くも作品の評価にも混入してきてしまうことってあると思うんですが、個人的な交流よりも先に作品に出会っていただいて、その仕事を評価していただけるというのはすごく幸福ですよね。だから声をかけていただいてすごく嬉しかったし、私にしても布施さんがどんな人かまったくわからなかったけれど、とりあえずお話ししましょう、ということで品川駅のエキュートでお茶をしました(笑)。

ココ:作品を気に入ってくれてオファーされるというのは嬉しいことですね。確かに良い演出家が必ずしも人格者とも限らないので(笑)。もっとも布施さんも同じように人となりは気になるところではなかったのですか。

布施:『鳥公園のアタマの中展2』で稽古の様子は観ていたし、その打ち上げにも参加していましたので、なんとなく分かっていたというか、それよりも友達になりたいという思いが強かったですね(笑)。

ココ:俳優からオファーすることが少ないのは、演劇が持っている構造的な仕組みがあるのでしょうか。作品を作りたいという初動的なところはどうしても演出家や劇作家がイニシアチブを持つことになると思います。しかし俳優が最初に手を上げても何ら問題ないことも確かです。

和田:日本に顕著な状況だと思うのですが、作・演出を兼ねる方が非常に多い且つ新作主義という傾向があるのではないでしょうか。となると、作家自身が書きたくて書きはじめるか、作家に書かせたいという演出家なりプロデューサーなりが企画のスタート地点を担いやすい。そういう構造になっていると思います。

ココ:なるほど。作・演出が同一人物や新作主義的なことは世界からみても日本の特徴のように見えます。そのような中で俳優として布施さんは自ら公演を提案したわけですが、和田さんから見て布施さんはどのようなタイプの俳優に感じられましたか。

和田:初めてお茶した時におしゃべりも弾んで、この人とは一緒にできそうだ、と思いました。そもそも公演へのモチベーションに関しては疑いようもないですしね。物語や感情の扱いなど、俳優の興味にもいろいろあると思うんですけど、布施さんはテクストに強い関心を持っている人だという印象です。私もテクストを扱うときはそのテクスト自体の文体や質感が魅力的で、逐語的にあたっていきたいくなるようなものに関心が強いタイプで、『裸足のフーガ』は、そのテクストの逐語的な関心だけで演出したとさえ言えるかもしれません。その『裸足のフーガ』にピンときた布施さんが上演テクストとして多和田さんを選ぶというのは納得感がありました。

『祖母の退化論』東京 PARA2F ©️ 内田颯太

布施安寿香ひとり芝居『祖母の退化論』Wインタビュー(その2)に続きます。


 

[ 脚注 ]
[1] ク・ナウカ ク・ナウカ シアターカンパニー。現SPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督宮城聰が中心となって1990年に設立された劇団。http://www.kunauka.or.jp/
[2] 阿部一徳 俳優。ク・ナウカ シアターカンパニーの中心メンバー。現在はSPAC-静岡県舞台芸術センター所属の主要俳優として活躍。ライフワークとして、ひとり語り芝居「阿部一徳のちょっといい話してあげる」を続けている。
[3] 多和田葉子 小説家、詩人。ドイツ在住。日本語とドイツ語で小説を執筆。『犬婿入り』で芥川賞を受賞。ウィキペディア
[4] 太田省吾 劇作家、演出家。2007年没。沈黙劇と呼ばれる演劇ジャンルを生み出した。『水の駅』、『地の駅』、『風の駅』は沈黙劇三部作と称される。ウィキペディア
[5] 勅使河原三郎 ダンサー、振付家、演出家、俳優。既存のダンスジャンルを無効化するような新しいスタイルに挑戦し続ける。これまで多くの賞を受賞し、国際的な地位を確立。ウィキペディア
[6] オルタナティブスペース・スノドカフェ 静岡市清水区で2006年から2019年まで営業していたカフェ。展覧会やトーク、ライブなど年間70~80ほどのイベントを行い、アーティスト、パフォーマーと観客が交流する場として活用していた。
[7] 『終わりにする、一人と一人が丘』 演劇ユニット鳥公園の演目。劇作・演出は主宰の西尾佳織。本戯曲は岸田國士戯曲賞にノミネートされた。https://bird-park.com/works/15/

カバー画像 ©️ 内田颯太

[ プロフィール ]

布施安寿香(ふせあすか)
1980年生まれ。2002年よりク・ナウカシアターカンパニー所属(現在活動休止中)2006年よりSPAC(静岡県舞台芸術センター)を中心に国内外で活動。主な出演作に『夜叉ヶ池』『アンティゴネ』『ハムレット』(演出・宮城聰)『ガラスの動物園』『桜の園』(演出・ダニエル・ジャンヌトー)『サーカス物語』(演出・ユディ・タジュディン)『室内』(演出・クロード・レジ)などがある。言語と身体の興味から演劇の枠を広げようと、ミュージシャンやダンサーとのコラボレーションもしている。また、近年は『日常生活のための演劇ワークショップ』などいわゆる上演にとどまらない演技の有り様を模索し、俳優以外へのワークショップなどの比重が増えている。SPAC演劇アカデミー講師。


和田ながら(わだながら)
京都造形芸術大学芸術学部映像・舞台芸術学科卒業、同大学大学院芸術研究科修士課程修了。2011年2月に自身のユニット「したため」を立ち上げ、京都を拠点に演出家として活動を始める。主な作品に、作家・多和田葉子の初期作を舞台化した『文字移植』、妊娠・出産を未経験者たちが演じる『擬娩』など。美術、写真、音楽、建築など異なる領域のアーティストとも共同作業を行う。2018年より多角的アートスペース・UrBANGUILDのブッキングスタッフとして「3CASTS」を企画。2019年より地図にまつわるリサーチプロジェクト「わたしたちのフリーハンドなアトラス」始動。NPO法人京都舞台芸術協会理事長。

『祖母の退化論』(雪の練習生 収録)作:多和田葉子
膝を痛め、サーカスの花形から事務職に転身し、やがて自伝を書き始めた「わたし」。どうしても誰かに見せたくなり、文芸誌編集長のオットセイに読ませるが……。サーカスで女曲芸師ウルズラと伝説の芸を成し遂げた娘の「トスカ」、その息子で動物園の人気者となった「クヌート」へと受け継がれる、生の哀しみときらめき。ホッキョクグマ三代の物語をユーモラスに描く、野間文芸賞受賞作。《出版社紹介文より転載》
『雪の練習生』は三部に分かれており、「わたし」が主人公の第一部が『祖母の退化論』となります。

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