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(その5・最終回)布施安寿香ひとり芝居『祖母の退化論』Wインタビュー

Wインタビュー掲載も最終回となりました。俳優の話題から演出へと話題が進んでいきます。改めて和田さんへどのように演出家としてのスキルを身に付けていったのかを語って頂きました。

日時:2023年4月1日
場所:zoom
インタビュアー・編集:柚木康裕 (cocommons)

布施安寿香ひとり芝居『祖母の退化論』
原作|多和田葉子(『雪の練習生』より)
演出|和田ながら(したため)
出演|布施安寿香(SPAC)
初演:京都(2020年12月)、再演(ツアー):静岡(2021年3月)、三重(2021年7月)、再々演:東京(2023年3月)

布施安寿香ひとり芝居『祖母の退化論』Wインタビュー(その5)

ココ:京都の演劇人はそのような戦略を立てているなと思える人が多い印象ですか。

和田:えー、どうなんでしょう。別の角度からの話をすると、現代演劇の俳優としてすごくがんばったとしても専業で食べていけるほどの市場が京都にはないんですよね。お隣の大阪は、劇場、劇団の数や都市の規模がまったく違うので、もしかしたら少し事情が違うかもしれませんが。京都は、バリバリ数を重ねられるほど現場があるわけでもないですし、その状況に物足りなさを感じる人は東京に拠点を移していく印象があります。東京のほうが現場の数は圧倒的に多いですから、うまくいけば出演できる機会は増えますし、事務所に所属して複数のメディアで活動するという選択肢もあるのかもしれません。京都ではたぶんそれはほぼ無理で、ということは何か別の仕事を持ちながら俳優として活動することになる。例えば学校現場でのワークショップのファシリテーターなど、演劇に関わる仕事をやっている人もいますが、いずれにしろ出演そのものを生計のメインにはなかなかできません。なので、自分の生活の仕方と演劇をやりたいというモチベーションとのバランスを取りながら皆さん活動しているんじゃないかな。

ココ:そのあたりは地方として京都もあまり変わらないのですね。

和田:はい。そうだと思います。

ココ:俳優のお話しを聞いてきましたけど、「演出」についても少し質問させてください。静岡では演出家が舞台監督や制作的な作業も担当しなければならないことが多く、演出のみに注力できない環境にも感じられます。それが原因とは限りませんが、演出への取り組みが不足している印象を受けます。和田さんは演出をどう学ぶか、あるいはどのように考えているか教えて頂けますか。

和田:まずは「見る」技術が必要だと思います。

ココ:見る技術?

和田:そもそも演出家って見るしかできないというか、本番のあいだも見ているだけですから。もちろん、セルフプロデュース能力をある程度持っていないと継続的な活動を維持するのは少し難しいかもしれません。

ココ:それは制作的なこともふまえてということですか。公演を一つ打つという意味で。

和田:そうです。常に専任の制作者がいるとは限らないので、たとえば自分で企画書や予算書や申請書を書いたり、キャストやスタッフにオファーを出したり。自分の名義でなにかをやっていくことのリスクを引き受けつつ、モチベーションを維持しつつ、経済的に何とかやっていきつつ…。もちろん、こういったことには向き不向きもあるので、苦手な部分をうまく助けてくれる人が見つかればそれに越したことはないのでしょうけれど。演出そのものの話に戻すと、「見る」能力は非常に重要だと私は思います。俳優の演技を見る、作品の構造を見る、劇場を見る。そして、社会をどう見ているか、個人としてどのようなものを見たいか、そういった欲望が作品に反映される職能だと思います。他人の作品を見ていても、演出家の視線がどこに注がれて作られたものなのかが分析できるぐらいには、見る力が必要だと思いますね。

 じゃあ、その力をどうやって養うのかというと、とにかく見るしかない。同語反復みたいになっちゃうんですけど。自分が専門とするフィールドのものを、いいものも悪いものも、好きなものも嫌いなものも、若い時に、あるいはその仕事をやり始めた早い段階に、とにかくたくさん見ておく。演劇の良いところは、その作品が自分にとって面白いか面白くないか好きか嫌いか、直接見てみるまでわからないこと。すごく評判の良いものを見に行ったけど、自分にとってはぜんぜん面白くなかったことって、よくあるわけですよね。その時に、ただ面白くなかったということで終わるんじゃなくて、なぜ面白くなかったのかっていうのがちゃんと自分の中で分析できるように見る。面白くないものを見ている時のほうがむしろ思考が捗るっていう人は向いているかもしれません。一方で、演劇だけ見ていればいいのかというとそんなことはなくて。個人的な感覚なんですが、演劇が好きすぎると、なんていったらいいんですかね、弊害もあると思うんです。もちろん演劇のことを好きでもいいですけど、ほどほどに好きくらいが多分ちょうどよくて。たとえば、映画をいっぱい見るとか本いっぱい読むとか美術に関心があるとか建築にめっちゃマニアックとか、演劇とは別の分野をたくさん見ている人は見る力が多角的で、強いなと思います。

ココ:和田さんは、演出以外に学んでいたものがありますか?

和田:学校の部活動で合唱をやってました。読書は好きですね。

ココ:演劇に関わり出したのはいつ頃ですか?

和田:はっきりと関わりはじめたのは高校です。大学のように自分の関心に合わせて時間割を組める学校だったので、自由選択科目の中にあった演劇の授業をとりました。その授業で演劇に触れて、そのあと演劇部にも入りました。進路を考える時に、せっかく興味をもったんだから演劇を勉強してみようかなと思って、舞台芸術を学べる京都の大学に進んだという感じです。

ココ:自分なりの演出の学び方を今振り返るとどのように説明できますか。例えばどのように深めていったとか。

和田:実は演出をちゃんとやってみたのは4年生の卒業制作公演が初めてで、それまでは先輩や先生の現場をスタッフとして手伝っていました。ちょうど私が入学したころに木ノ下歌舞伎[1]が旗揚げしていて、院生の杉原邦生[2]さんが演出をしていました。ご縁があって杉原さん演出の木ノ下歌舞伎の作品や、杉原さんのご自身のプロデュースユニット「KUNIO」[2]の現場に演出助手として1年半くらい関わりました。そうこうしているうちに松田正隆[3]さんのマレビトの会[3]でも演出助手をさせていただいたり。また、大学では作品をつくる授業があって、山田せつ子[4]さんの授業でダンス公演をしたり。今振り返ると、その時期の経験は今にすごく影響を与えていると思います。たとえば、実は私は杉原さんの影響をすごく受けているという自覚があるんですけど、作品を見た感じだけではあまりわからないかもしれません。あるいは山田せつ子さんや寺田みさこ[5]さんの授業でダンスをやったことは、私の作り方に大きく流れんこんでいます。一方で松田正隆さんからの影響はあまり自覚できていなくて。それは松田さんが演出家であると同時に劇作家であることに関係があるのか、それともこれからなんらかの形で影響があらわれてくるのか、わからないんですけれど。大学院生のころにはKYOTO EXPERIMENTが始まって、スタッフとしてさまざまなプロダクションに関わらせてもらいました。

 若い時期にいろいろな演出家の現場にいさせてもらったのは、確実に礎になっています。ただ、演出家として自分で作品を作りはじめると、自分の稽古場にしか行かなくなってしまう。自分が演出家である稽古場を繰り返しているだけだと、自分が次のステップに進めるような成長のきっかけをつかみにくいんじゃないかとも思っていました。そうしたら、ちょうど私が30歳になるころに、チェルフィッチュ[6]が『三月の5日間』[6]のリクリエーション版の演出助手を募集していたんですね。岡田さん[7]の稽古場にはもともと興味がありましたし、千載一遇のチャンス! と思って。リクリエーション版のスケジュールは自分の公演とも重なってしまって条件が合わなかったんですけども、募集要項には、その公演以降のプロダクションにも関わってもらえる人に出会えれば、と書いてあったので、ダメ元で応募。そしてそれがきっかけで、2019年のチェルフィッチュ×金氏徹平[8]『消しゴム山』[9]に演出助手として参加させていただいて。岡田さんはもちろんですが、コラボレーターの金氏徹平さん、出演者のみなさんやスタッフの方々とチェルフィッチュの現場をご一緒出来た経験は、自分にとっても糧になりました。

ココ:やっぱり環境は大切ですね。京都を地方といいましたが、そうそうたる顔ぶれで底力を感じます。今の日本の演劇界を引っ張る演出家のみなさんが先輩や先生として身近にいたことはとても重要だったと思います。さらっとおっしゃってましたが、その現場にいた和田さんもすごいですね。

和田:刺激に恵まれていたと思います。太田省吾さんは私が大学2年生の夏に亡くなられたので、必修の講義ぐらいでしか授業を受けられなかったのはすごく残念だったのですけれど、先輩たちから太田さんについてのいろんなお話を聞かせてもらえる機会もあって。今でも、大学の先輩や同期の活躍は刺激になります。

ココ:時代というか、面白い人が集まっていたのですね。ただ環境があるだけではなく、その状況をじっくりと「見て」、演出家としての糧にした和田さんがいたことがよく理解できます。静岡で今年の8月から行われる演劇WS[10]があると聞きました。和田さんの経験が静岡の皆さんにどのような刺激を与えるのか、とても楽しみです。布施さん、和田さん、本日は長い時間でしたけど本当にありがとうございました。

日時:2023年4月1日
場所:zoom
インタビュアー・編集:柚木康裕(cocommons)


 


『祖母の退化論』(雪の練習生 収録)作:多和田葉子
膝を痛め、サーカスの花形から事務職に転身し、やがて自伝を書き始めた「わたし」。どうしても誰かに見せたくなり、文芸誌編集長のオットセイに読ませるが……。サーカスで女曲芸師ウルズラと伝説の芸を成し遂げた娘の「トスカ」、その息子で動物園の人気者となった「クヌート」へと受け継がれる、生の哀しみときらめき。ホッキョクグマ三代の物語をユーモラスに描く、野間文芸賞受賞作。《出版社紹介文より転載》
『雪の練習生』は三部に分かれており、「わたし」が主人公の第一部が『祖母の退化論』となります。

公演画像すべて ©️ 守屋友樹
(2020年12月に行われた『祖母の退化論』京都公演)

[ 脚注 ]
[1] 木ノ下歌舞伎 2006年に活動開始。主宰の木ノ下裕一(1985年生まれ)は京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)卒業。歴史的な文脈を踏まえつつ、現代における歌舞伎演目上演の可能性を発信する団体。(HPより抜粋)
[2] 杉原邦生、KUNIO 演出家、舞台美術科。KUNIOは杉原が主宰するプロデュース公演カンパニー。京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)卒業。HP
[3] 松田正隆、マレビトの会 劇作家・演出家。1962年長崎県生まれ。96年『海と日傘』で岸田國士戯曲賞。マレビトの会は松田が代表を務める。2003年設立。HP
[4] 山田せつ子 ダンサー/コレオグラファー。舞踏から生まれた日本のコンテンポラリーダンスの先駆けとして、国内外で活動。2000年~2011年、京都造形芸術大学映像・舞台芸術学科教授。
[5] 寺田みさこ ダンサー/コレオグラファー。幼少よりバレエを学ぶ。「トヨタコレオグラフィーアワード2002」次代を担う振付家賞受賞。
[6] チェルフィッチュ、『三月の5日間』 チェルフィッチュは1997年設立の演劇カンパニー。主宰は岡田利規。独特な言葉と身体の関係性を用いた手法が特徴。『三月の5日間』は初期の代表作。イラク空爆の反戦デモが行われている状況に、渋谷のラブホテルで過ごす男女を中心に描いた作品で日本の現代演劇に多大な影響を与えた。HP
[7]
岡田さん 岡田利規。演劇作家/小説家/チェルフィッチュ主宰。1973年生まれ。2005年『三月の5日間』で第49回岸田國士戯曲賞を受賞。HP
[8] 金氏徹平 美術家/彫刻家。1978年生まれ。身のまわりの事物を素材に部分を切り抜き繋ぎ合わせることで、既存の文脈を読み替えるコラージュ的手法を用いて作品を制作。(HPより)
[9]『消しゴム山』 2019年初演。チェルフィッチュと金氏が取り組んでいる「消しゴム」シリーズの一作。人とモノと空間と時間の新しい関係性を問う。金氏がチェルフィッチュの舞台美術に初めて関わった作品は、『家電のように解り合えない』(2011年)。
[10] 静岡で今年の8月から行われる演劇WS 静岡市文化・クリエイティブ産業振興センター主催の現代演劇演出ワークショップ。8/27(日)にオンラインガイダンス。応募締切8/10。HP 

[ プロフィール ]


布施安寿香(ふせあすか)
1980年生まれ。2002年よりク・ナウカシアターカンパニー所属(現在活動休止中)2006年よりSPAC(静岡県舞台芸術センター)を中心に国内外で活動。主な出演作に『夜叉ヶ池』『アンティゴネ』『ハムレット』(演出・宮城聰)『ガラスの動物園』『桜の園』(演出・ダニエル・ジャンヌトー)『サーカス物語』(演出・ユディ・タジュディン)『室内』(演出・クロード・レジ)などがある。言語と身体の興味から演劇の枠を広げようと、ミュージシャンやダンサーとのコラボレーションもしている。また、近年は『日常生活のための演劇ワークショップ』などいわゆる上演にとどまらない演技の有り様を模索し、俳優以外へのワークショップなどの比重が増えている。SPAC演劇アカデミー講師。


和田ながら(わだながら)
京都造形芸術大学芸術学部映像・舞台芸術学科卒業、同大学大学院芸術研究科修士課程修了。2011年2月に自身のユニット「したため」を立ち上げ、京都を拠点に演出家として活動を始める。主な作品に、作家・多和田葉子の初期作を舞台化した『文字移植』、妊娠・出産を未経験者たちが演じる『擬娩』など。美術、写真、音楽、建築など異なる領域のアーティストとも共同作業を行う。2018年より多角的アートスペース・UrBANGUILDのブッキングスタッフとして「3CASTS」を企画。2019年より地図にまつわるリサーチプロジェクト「わたしたちのフリーハンドなアトラス」始動。NPO法人京都舞台芸術協会理事長。

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